(1)の東京都による浅川圏域の浸水予想は、国直轄による浅川本線の氾濫区域を除いた検討結果であるため、支川南浅川の氾濫水がJR西八王子東踏切から西北に伸びる道路で止まっているように見える。これは氾濫がそこで止まっているのではなく、解析対象外としてしまったため、八王子中心市街地の氾濫水が表示されていないためである。(2)の国による浸水想定は、浅川本川の氾濫のみを対象としているため、支川からの氾濫はまったく考慮されていない。八王子市では、これらを単純に重ね合わせた(3)を洪水ハザードマップとして公表しているが、八王子市街地に到達するであろう南浅川からの氾濫が、まったく想定されていないハザードマップを公表しているため、万が一の洪水災害に備えるべき防災情報としては、大変危険な事態となっている。しかも、八王子市がそのことをまるで認識していないという状況にあるのです。
(1)東京都による浅川の浸水予想区域図
(2)国による浅川の浸水予想区域図
(3)八王子市中心市街地の洪水ハザードマップ
(4)実際の洪水氾濫は→のように広がると想定される。
南浅川の浸水予想区域について(問い合わせ) 東京都で作成された南浅川の浸水予想区域図を見ますと、南浅川右岸の浸水区域が西八王子駅前から宗格院へ向かう通称馬場横丁で止まっています。 図の表示では、宗格院付近における浸水深は1~2mと見られますが、地形は当該地点から北~東の八王子市街中心部に向けて、急こう配で低くなっており、氾濫水があったとすれば、ここで留まることは考えられません。 これらから、国が作成した浅川本川の浸水予想区域と都が作成した南浅川の浸水予想区域が重なっているため後者の表示がされていないか、あるいは、南浅川の浸水予想を実施していないか、どちらかのように思われます。 宗格寺のある付近は、江戸時代に大久保長安が南浅川の氾濫流による、八王子宿中心部の洪水被害を防ぐため、有名な石見堤防を築造した場所であることからもわかりますように、八王子中心部の治水にとって大変重要な場所となっております。 千人同心組頭植田猛縉の『武蔵名勝図会』1823年(文政六)には、「天正の初めに北条氏八王子城居の頃、小仏川、椚田川出水して、今の散田新地(並木町)というところは川瀬となり、それより今の千人町通りを流れて、本郷村(元本郷町)の下より浅川へ流れ入りける由。その後、八王子城陥りし後に、城下町の亡民を今の八王子町へ引移されし後も、洪水またも島之坊宿辺(日吉町)より(水無瀬橋右岸直上流の霞堤部よりと思われる)市中に流れ入らんとせしかば、石見守下知を伝えて、由井領、小宮領、日野領の村々へ課せしめて町囲いの長堤を築けり。」とありますように、南浅川から元本郷町あるいは市中心部へと向かう洪水氾濫の記録も残されています。 このところ、幸いにして南浅川に大きな洪水被害は発生しておりませんが、昨今の異常降雨の多発をみるにつけ、今後、このような洪水が発生しないとは言い切れないと状況になっていることから、より精度の高い浸水予想情報の必要性はますます大きくなっております。 現在の浅川圏域の浸水予想区域図では、八王子中心部は浸水が想定される区域とはなっておらず、事実がそうであれば問題ありませんが、もし前述のような理由より、浸水予想の空白地帯(浅川の浸水はないが、南浅川の浸水は未検討)となっているとしたら重大な問題ではないでしょうか。 そこで、直轄による浸水予想区域と東京都による浸水予想区域がちょうど重なっております八王子市街地について、南浅川の氾濫による浸水予想がどのような状態になるかについて、正確な情報をお教えいただけると幸いです。 なお、水無瀬橋上流右岸では、現在も霞堤のようになっており、上流の高い堤防が途切れて、大出水時には洪水が容易に溢水しそうな部分も残されておりますので、上流右岸堤防を水無瀬橋まで取り付ける工事が必要なのではないでしょうか。
問い合わせ結果
東京都から回答があり、予想した通り「当該箇所については、直轄管理である浅川の流域であることから、シミュレーションの対象としておりません。」とのこと。八王子市の洪水ハザードマップで最も重要な、南浅川による八王子中心部への氾濫予測は実施されていませんでした。八王子市はこれで良いのでしょうか?
八王子市からの回答は、国と都の浸水区域の深い方をとって重ねたという趣旨だった。予想された通りではあったが、何にもわかっていない。そもそも都は八王子市街地の浸水予測を実施していないのだから、重ねようがない。八王子市の防災行政のレベルは、この程度のものか。