がれき広域処理や食べて応援、100ベクレル/kgギリギリの食品でも売れないのは風評被害と言い、理屈の通らない除染で金をばら撒く、すべて共通するのは、放射能を封じ込めるという原則を無視した行政が行われているということ。こんな状態のままであれば、がれき広域処理が無くても、放射能が全国に広がるのは時間の問題である。
放射能管理のずさんさがよく分かる例として以下を引用する。
(引用)
連携が問題
北村俊郎 2013.4.26
毎度、現地の管理の杜撰さを指摘するのは気が滅入るが、書かない訳にはいかない。4月に入って富岡町の帰還困難区域はバリケードで囲われ、決められた出入り口は国道6号線にある消防署前の交差点から入る一箇所のみとなった。従来3カ月に1回だった一時帰宅も月1回となり、申し込めば好きな日に帰れるようになったのはありがたい。
早速、郡山市にある町の仮庁舎に出向いて一時帰宅の申し込みをしたところ、15分ほどで立ち入り許可証が発行され、翌々日の立ち入りが出来ることになった。帰還困難区域の住民は、従来通り立ち入りの際の基地となっている福島第二原発の駐車場で線量計やサーベイメーター、防護装備などを受け取り、帰りにはまた、そこで汚染検査を受けるようになっていると、係りの女性が資料をもとに説明してくれた。
当日、国道6号線でいわき市経由、富岡町に入った。そこから海側に折れて、福島第二原発の駐車場に行ったが様子がおかしい。いままで交差点と中継基地周辺には10メートル間隔で係員が立って誘導していたが、今回は誰もいない。中継基地に到着すると、係員が3人、手持ち無沙汰にしており、「ここでは線量計など貸与する物品は置いていない。帰りの汚染検査も受けたい場合のみ、ここに来てもらえればやってあげます。6号国道に戻ってそのまま富岡町の中心部まで行ってください」と言われた。
防護装備をしないまま、再び6号国道までもどって行くと、なるほど消防署の前の交差点で警察官が許可証をチェックしている。その近くのゲートには監視員がいた。一時立ち入りの案内書には線量計の所持や防護装備着用をするように書いてあったが、ゲートでの線量計や装備の点検はまったくなく、許可証を見せるとゲートを開門してくれた。物品を貸与する様子もない。約4時間の帰宅ののち、再びゲートに戻ると、何も調べず記録もせずに「お気をつけて」と愛想よく開門してくれた。帰りは基地には寄らず、そのまま6号線を経由して高速道路で避難先に戻った。
端的に言えば、現在、現場では線量計もサーベイメーターも持たず、防護装備もせず、持ち出し物品の汚染検査もされずに帰還困難区域に出入り出来るようになっているということだ。過去に原発の現場で、極端に厳重な放射線管理を経験した私にとって、帰還困難区域の管理は狐につままれたようなものだ。ここまで管理を緩めて住民たちの自主性に任せきってよいのかと疑問に思うとともに、案内パンフレットに書いてあることと実際に行われていることが違っているなど、それぞれの係りの連携が取れていないのに驚いた。
翌日、町役場に問い合わせると「基地の方は内閣府の所管ですが、それはまずいですね。貴重な情報ありがとうございます」とのこと。こんな実態を政府や県は把握しているのだろうか。縦割りで業務が行われていて、全体として矛盾なく、適正に行われているかを見ているところがないようである。福島第一原発の事故後、外国の原子力関係者の案内を頼まれることがあるが、こんな実態をなんと説明してよいものやら。頭が痛い。
多くの機関や部署が関わるプロジェクトや手続きについて、実際にスタートする前に、各機関などからメンバーを一名づつ出し、合同チームを編成して、入口から出口までリハーサルをやる方法を提案したい。東京電力のような大きな組織内でもこれをやると良い。野球でもサッカーでも、ダブルプレーやサインプレーは、何十回とグラウンドで練習を積み重ねて成功する。原発事故対応の関係者が、会議や文章のやり取りだけで、すべてがうまくいくと考えていること自体が間違っている。
日本エネルギー会議HP(http://enercon.jp/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/4212/)より
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