2014年1月25日土曜日

秘密保護法 共謀罪 心の中も取り締まる(信濃毎日新聞 11月24日(日)社説より)

戦前、思想や言論、結社の弾圧に使われた治安維持法の「協議罪」が「共謀罪」と名を変えて再現された。自首による刑の減免規定は、密告社会をつくることにつながる。

(引用)
秘密保護法 共謀罪 心の中も取り締まる
信濃毎日新聞 2013年11月24日(日)社説より

 戦前、思想や言論、結社の弾圧に使われた治安維持法は「協議罪」が多用された。
  この法律は特定の思想を持った結社を組織することやその組織への加入を処罰することを主眼とした。そこに、話し合うだけで処罰する協議罪を盛ることで、組織に加入するという実行行為の前段階での取り締まりを可能にした。
  典型が全国で1600人近くが逮捕、拘留された1928(昭和3)年の3・15事件だ。逮捕された人の多くは、共産党や労働農民党などに入党していなかった。
  この協議罪が「共謀罪」と名前を変え、今、衆院で審議されている特定秘密保護法案の中に入り込んでいる。しかも、共謀罪については自首すれば、刑を軽くするだけではなく、免除するとまで規定する。これが何を意味するのか―。国会審議でもほとんど論議されず、修正協議でも取り上げられなかった隠れた重要問題だ。

   <監視社会になる心配>

  日本の刑事法では、犯罪は実行行為があって初めて処罰する。国の統治機構を破壊する内乱罪などごく一部の例外を除いて、謀議(犯行の話し合い)だけでは罰しないのが原則だ。
  刑事法の専門家によると、心の中の問題で人を処罰した治安維持法の苦い教訓によって、戦後、共謀罪を規定することには抑制が働いてきた。
  それが働かなかったのが01年の自衛隊法改正による共謀罪の新設だ。ただ、その対象は秘密漏えいに限られている。
  特定秘密保護法案では、情報を取得しようとした側にも共謀罪が適用される。秘密をつかんでいなくても、何とか得ようと誰かと話し合っただけで、処罰される場合がある。
  しかも、共謀は言葉を交わさない「暗黙の了解」でも成立するとされる。罪は心の中に及ぶ。捜査側から見れば、共謀罪があれば情報漏えいという結果が発生しなくても、治安維持法のように、その前段階で取り締まることができる。
 それにしても、どうやって話し合っただけのことを知ることができるのか―。実はそこに、自首による刑の減免規定が密接に関わっているのだ。
  捜査当局は、あなたは罪に問わないから話し合った内容を教えなさいと密告を促すことができる。あるいは、市民団体などの中に協力者をつくったり、潜入させたりし、共謀が行われた時点で協力者に自首させる方法もある。
 実行行為がなく物証が乏しいので、逮捕された人の取り調べも自白強要になりやすい問題がある。
  実際に立件されなくても、この規定があるだけで、人々を疑心暗鬼にさせ、相互監視社会をつくりだす。非公開の情報にアクセスする市民の行為を萎縮させるのは明らかだ。

   <通信傍受の拡大も>

  この法案と前後して進む気がかりな動きがある。通信傍受法の対象拡大だ。
 この法律は、犯罪の首謀者らの摘発を目的に2000年に施行された。対象の犯罪を薬物、銃器、集団密航、組織的殺人の4分野に限り、捜査機関が裁判官の令状に基づき電話やファクス、電子メールを傍受することを認めている。
  この傍受対象の拡大が、法相の諮問機関、法制審議会の特別部会で検討されている。一昨年に発足した部会は本来、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を契機に、取り調べの録音・録画(可視化)を法制化するのが主なテーマだった。
  ところが、可視化によって組織犯罪などの摘発が困難になるとする検察、警察が見返りとして、捜査をしやすくする通信傍受の拡大を求めている。
  拡大されれば、特定秘密保護法案の共謀罪のように立証しにくい罪が通信傍受の対象になる可能性は高い。法案の検証に取り組む弁護士グループはそうみている。
  86年に発覚した神奈川県警による共産党幹部宅電話盗聴事件で、公安警察の違法な情報収集活動が明らかになった。傍受対象の拡大は、こうした活動に法のお墨付きを与えることになりかねない。政府に批判的な個人や団体には、秘密取得の共謀の恐れがあるという理由で盗聴される可能性がつきまとうことになる。

    <憲法を掘り崩す>

  共謀罪新設をめぐる経過は、もぐらたたきのようだ。
  03年以降、組織犯罪処罰法の改正案の中に盛り込む形で国会に3回提出された。恣意(しい)的な適用の恐れがあるとして野党のほか日弁連、市民団体などが強く反対。いずれも廃案になった。すると今度は特定秘密保護法案の中に顔をのぞかせた。
  「内心の自由」は、思想・良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由として憲法で保障されている。共謀罪という“もぐら”は、これを掘り崩す。

2014年1月16日木曜日

班目氏、3年目の証言 「あり得た、フクシマ最悪の筋書き」

 福島第一原発事故の、いわゆる最悪のシナリオには、「溶融燃料とコンクリートの反応による水蒸気爆発で事態が悪化し首都圏にも避難指示」というシナリオの他に、「高圧溶融物放出で核燃料が格納容器の外に飛び出し、手のつけようのない事態になる」というものもあった。 斑目氏は相変わらず自己正当化に終始し、どこまで本当のことを語っているかは疑問だが、国民の生命財産が、最悪の事態になればなるほど、このような人たちにゆだねられるような構造になっていることは事実である。

以下引用日経新聞 科学記者の目 2014/1/10

 班目氏、3年目の証言 「あり得た、フクシマ最悪の筋書き」 
編集委員 滝 順一
 東日本大震災で起きた福島第1原子力発電所の事故当時、原子力安全委員長だった班目春樹氏(東京大学名誉教授)。原発事故時には政府に技術的助言を与える立場にあったが、的確な助言ができなかったとして非難を浴びた。2012年夏に退任して以来、表舞台に出ることはほとんどなかった同氏がこのほど日本経済新聞の取材に応じた。
 その中で班目氏は、溶融核燃料が格納容器の外に飛び出る最悪の事態を一時想定したことを明らかにした。また現在の原子力防災の体制については、福島の教訓を十分にくみ取っていないとも指摘。首相の近くにいて事故対応にあたった班目氏の証言や分析は今後の原子力行政を考える上で参考になりうる。当時を振り返りながら、弁明も含めて重い口を開いた。
■「部屋で行われていることが何かわかっていなかった」
福島第1原子力発電所の事故当時、首相の近くにいて対応にあたった班目春樹・前原子力安全委員長

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福島第1原子力発電所の事故当時、首相の近くにいて対応にあたった班目春樹・前原子力安全委員長
 ――東日本大震災の発災時にはどこにいたか。
 「(3月11日の)2時46分には原子力安全委員会(霞が関の中央合同庁舎4号館)のオフィスにいた。1時間ほど過ぎたころ、原子力災害対策特別措置法に基づく10条通報(全交流電源喪失)があり、やがて15条通報(非常用炉心冷却装置注水不能)もきた。原子力災害対策本部が立ち上がるはずだが、連絡がなかなか来ないので、行って待っていようと考え、首相官邸へ行った」
 「15条通報の文書には、原子炉への注水ができず炉内水位が見えないので、念のため通報するとあった。このことから私は、直流電源(蓄電池)は生き残ったと思い込んでいた。水位計は壊れていて水位が読めないのだなと楽観的に考えていた。直流電源は少なくとも8時間、おそらく半日くらいは十分にもつだろうから、早く電源車などを確保して直流電源を維持すればよいと考えていた」
 「19時ころに原災本部の会議が開かれたが、このときは地震と津波の対策協議が主で、原発はそれほど大きな話題にはならなかったと記憶している。私に発言の機会はなかった」
 「その後いったんオフィスに戻ったが、官邸から呼ばれ、21時ころに官邸地下の危機管理センターの横にある中二階の小さな会議室に初めて入った。政治家の人たちが大変心配していて、これからどうなると尋ねられた。部屋には原子力安全・保安院の平岡英治次長(当時)らがいたが、質問に答えられなかったのだと思う」



班目氏の行動(3月11日)

14:46 地震発生(原子力安全委員会オフィスに在席)

15:42 10条通報(1~5号機の全交流電源喪失)

16:00 安全委臨時会議を開催し緊急技術助言組織を立ち上げる。臨機応変の対応を宣言

16:45 15条通報(1、2号機の非常用炉心冷却装置注水不能、直流電源喪失の連絡はなかった)

17:40ころ 首相官邸へ。電源車の調達を知り、是認

19:03 原子力災害対策本部開催(発言機会なし、20:00ころいったん安全委オフィスに戻る)

21:00ころ 官邸へ。3km圏内避難指示、炉心損傷を防ぐため注水とベント(排気)を助言
 「海岸近くにある冷却系施設が津波で壊れているはずだから、(炉心で発生する)熱の捨て場がない。熱を捨てるには炉心に水をぶち込んで、水蒸気の形で熱を空気中に出すしかない。熱の捨て場を確保する目的で、ベント(排気)をしてくださいと進言した。この時点では炉心が溶け始めているとは思っていなかった」

 「また周辺住民の避難に関して、私が3キロ圏の避難を進言したことになっている。ここは記憶があいまいなのだが、国際原子力機関(IAEA)の予防的措置範囲(PAZ=Precautionary Action Zone)が3~5キロだと承知しているので、3キロではどうかと問われれば、それでよい、国際的な考え方からも予防的に避難させるべきだと答えたに違いない。すでに福島県が2キロ圏内の避難を指示していることもおそらくそのときに聞いたはずだ」

 「後から振り返れば、私はこのとき部屋で行われていることが何かわかっていなかった。原発事故の際には保安院の緊急時対応センター(ERC、経済産業省別館)で指揮がとられることになっていた。ERCでは指揮がとられていて、私は政治家の人たちに解説をすればよいのだと思っていた。ただ矢継ぎ早の質問に対し、私は何の資料も原発の図面すらなく、ただ記憶だけで答えていた。11日の夕方には原子力安全委員がオフィスに集まり始めていたが、官邸地下の危機管理センターからは携帯電話がかけられず、助けを得られなかった」

班目氏の行動(3月12日)
0:55 1号機格納容器の圧力上昇の情報
電源車到着するが、電源復旧できず、電源盤損傷の疑いを抱く
3:00ころ 2号機の隔離時冷却系(RCIC)運転の情報を確認(危険なのは1号機と判断)
5:00ころ 首相の現地視察への同行依頼を受ける
5:44 10km圏内の避難指示
6:14 菅首相に同行しヘリで官邸を発つ(機内で首相に水素爆発の説明)
7:11 福島第1原発へ到着(到着後、ベント未実施を知る)
8:04 福島第1原発を出発
10:47 官邸に帰着し安全委オフィスに徒歩で戻る
12:08 原子力災害対策本部の会議(11:35呼び出し受ける)
13:00ころ 福島県選出国会議員への説明(13:30ころ以降は首相応接室に滞在)
15:18 1号機のベント成功の情報。その後、海水注入の問題点を議論
15:50ころ 1号機で白煙発生の情報
17:00ころ テレビで1号機爆発を確認、水素爆発と直感。その後、菅首相の求めで久木田委員長代理を推薦
19:30ころ 安全委オフィスに戻る
22:05 原子力災害対策本部の会議(再び官邸)
24:00過ぎ 帰宅
 ――事態が当初の見込みよりはるかに深刻だと気づいたのはいつごろか。

 「深夜を過ぎたころに1号機の格納容器の圧力があがっていると聞いたときに、これは変だと思った。ひょっとしたら、直流電源が止まっていたのかと疑った。それにしても1号機は非常用復水器(IC)によって自然循環で冷やせるので(電源喪失には)強いはずなのに、とも思った。その後、電源車のケーブルがつながらないとか、ケーブルがいくらあっても足りないとか耳にしたとき、配電盤も水没して、ポンプなどひとつひとつに電源をつなぎ込んでいるのかと推測した。現場で何が起き、どうしようとしているのかが(官邸にまで)伝わっていなかった。人間の心理は極端から極端に振れる。私は非常に絶望的な気持ちになっていた」

■「安心したことが間違いだった」

 ――前夜に進言したベントは明け方になっても実行されていなかった。

 「前夜とはベントをする意味が大きく変わっていた。このころになると、炉心が溶けて(水蒸気やガスで)格納容器の圧力が高まっていると推測できた。格納容器を(破損から)守るためにベントが必要になっていた」

 ――早朝になって、避難指示の区域を10キロ圏に広げている。

 「炉心が溶けているとすると、3キロでは足りないと思った」

 ――それほど悲観的に事態をみていたのなら、早朝にヘリコプターで現場に向かう菅直人首相(当時)に同行し、機内で「水素爆発はない」と話したのはなぜか。

 「首相から炉心が露出したらどうなるか問われた。水素ができると答えると、爆発が起きるのかと問い返された。そこで格納容器の中は窒素で置換されていて(酸素はないので)爆発は起きませんと答えた。この説明は誤りではない。菅元首相は著書で、私の言葉を聞いて安心したのが『大間違いだった』と書いているが、私の説明に誤りはない。そこで(首相が)安心したことが間違いだった」

班目氏の行動(3月13日)
3:40ころ 自宅で原子力安全委事務局からの電話
5:00ころ 官邸へ(官邸到着前に安全委オフィスで他の安全委員らと意見交換)
この間、3号機の高圧注水系停止などの事態が進む
10:04 原子力災害対策本部の会議
13:55 安全委オフィスに戻り、官邸の状況を説明
14:35 官邸へ
この間、保安院の安井氏らも加わって、3号機の水素爆発の可能性を議論
15:30 官房長官記者会見に同席(これ以降、数回)
21:35 原子力災害対策本部の会議
久木田委員長代理と最悪のシナリオを議論。政治家にメルトスルー後のコンクリート反応を説明
 「ヘリに乗る直前に、これからベントを行うとの連絡を聞いていたように思う。現地に着くまでにベントは実施されるものだと思っていた」

 ――とすると、ベント直後の発電所に降り立つことになるが、ヘリに乗った人たちは防護服を着ていなかった。

 「防護服のことなど考えもしなかった」

昨年11月時点の東京電力福島第1原発
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昨年11月時点の東京電力福島第1原発
 ――ヘリから降りた菅首相は「なぜベントを早くやらないのだ」と東京電力の武藤栄・副社長(当時)をいきなり怒鳴りつけたとされている。首相はベントが実行されていないことを知っていた。

 「首相と武藤さんとの会話を聞いていないが、首相はどこかで(ベントの未実施を)知らされていたのだろう。私は免震重要棟の会議室で知らされた。首相がベントのことを強く言ったのは、機内で私がベントの必要性を強調したせいかもしれない」

■「食い違いがあることに気づかず議論をしていた」

 ――12日午後に1号機で爆発が起きたとき、どう思ったのか。

 「映像を見た瞬間に水素爆発だと思った。その時の記憶はあいまいだが、下村健一・内閣審議官(当時)の書いたものよると、私は『建屋に水素が漏れて、建屋には水素があるので爆発した』と淡々と説明したとされている。多分、事実だろう」

 「この爆発を機に、首相は私の言うことを信用しなくなった。『安全委員会にはほかに専門家はいないのか』と問われたので、『久木田豊委員長代理(当時)も詳しい』と答えると、『すぐに呼べ』と言われたので、久木田さんに来てもらい、私はオフィスに戻った」

 ――1号機の爆発のあった時間帯は、海水注入の議論をしていたころでもある。

 「(海水注入の議論の中で)『再臨界の可能性はあるか』と首相から問われたら、『可能性はある』と答えたとしてもおかしくない。私には尋ねられた記憶がない」

 「実は水素爆発の前の時点から、海江田万里・経産相(当時)が議長になって海水注入の問題点を総理応接室(官邸5階)で話し合っていた。塩が析出し腐食も問題になるので長期間は無理だが、いまは炉心を冷やすことを何より優先し海水を入れろと私は主張していた。首相が海水注入を止めるよう言うはずはないと思う。海水注入中断の問題は、国会事故調査委員会などが指摘するように東電の武黒一郎フェローの勝手な判断が介在していたように思う。いずれにしても、吉田昌郎所長(当時)の判断で注入の中断はなかった」

 「後に福山哲郎・官房副長官(当時)はじめ、政治家の人たちの著書を読んで気がついたのだが、みなさん再臨界イコール核爆発だと思っていたらしい。再臨界が仮に起きても核爆発とは違うことは、JCO事故などからも明らかだ。食い違いがあることに気づかず議論をしていた」
 ――その日は深夜に自宅に戻るが、すぐにまた官邸に呼ばれる。

 「ほとんど寝ていない。ただ13日になると、いろいろな専門家から見解を聞く余裕が出てきた。とくに久木田さんとの意見交換は貴重で、その時点で最も怖いのは高圧溶融物放出(HMT=High-pressure Melt Through)という現象だと意見が一致していた。これは溶融燃料によって圧力容器の壁が溶けて薄くなった末、圧力容器内と格納容器の圧力差によって燃料が容器を突き破って外に飛び出す現象だ。格納容器の壁まで貫通してしまう恐れがある」

 「14日の3号機の水素爆発の後、2号機の逃がし安全弁を急いで開くように助言したのは、2号機でHMTが起きるのを心配して、圧力容器と格納容器の圧力を均一化した方がよいと考えたからだ。吉田所長はまずベントの準備を整えてからと主張していた。安全弁を開くと圧力容器内の水が水蒸気となって格納容器に流れ出し、燃料が空だきになる恐れがあるので、注水の備えがないと安全弁を開けない。難しい判断だ」

 ――そう考えると、原子炉の底部から溶融燃料が落ちたのは不幸中の幸いと言えるか。

 「そうとも言える」

 ――14日夜から東電の撤退問題が浮上する。

 「撤退問題の議論は3つの段階を経たように思う。海江田経産相が伊藤哲朗・危機管理監(当時)と安井正也・保安院付(当時)と私を呼んで、東電が全員撤退を考えていると伝えた。私は免震重要棟があるのでまだ頑張れるはずだ。いったん撤退してしまうと二度と戻れなくなり、1号から6号まですべての原子炉と燃料プールが危機にさらされると、撤退に反対した」

 「その後、政治家だけの相談があり、首相を起こして御前会議となった。撤退は許さないが結論で、清水正孝社長(当時)を呼ぶことになった」

班目氏の行動(3月14日)
9:53 原子力災害対策本部の会合(この後、首相応接室を退去し官邸5階の小部屋などに滞在、呼び出しに応じ応接室へ)
11:01 首相応接室のテレビで3号機水素爆発を確認
11:40 官房長官記者会見に同席
13:40ころ 東電から福島第1で働く人の線量限度引き上げの要望、国際基準などを関係者に説明
16:15 吉田所長と電話で話し、2号機逃し安全弁の開放を急ぐよう助言
18:00ころ 20~30km圏内の屋内退避を首相に助言、福山副官房長官室で米国へ提供する情報の整理
21:03 官房長官記者会見に同席
■「清水社長がその場でごまかそうとしたとの印象はまったくなかった」

 「清水社長は一人で総理執務室に入ってきた。清水社長が即座に『撤退は考えていない』と話したので、私は『聞いていたのと話が違う』と思った。清水社長がその場でごまかそうとしたとの印象はまったくなかった。なにか誤解があったのかもしれない。ただ経営者としてこのままでは部下が死ぬ可能性があると思ったとき、ほかに手だてはないかと考えていたとしてもおかしくはない」

 ――緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報は住民の避難に活用されなかったが、本当に使えなかったのか。

 「不確実性が大きく、今回のような過酷事故の際には使えない。3~5キロのPAZの住民はまずとりあえず避難する。次に実測値をもとにどちらの方向がより安全かを判断して避難の範囲や方向を見直すのだが16、17日時点では実測値が少なく、それだけでこちらがいいと言えない。(実測データから)逆算して汚染状況の地図を作製したのが23日だ」

 「そのデータをみる限り、小児甲状腺等価線量で100ミリシーベルトを超え避難基準に達する恐れがある地域があるので、23日の朝に久住静代・原子力安全委員(当時)と一緒に、官邸に一報を入れに行った。枝野幸男・官房長官(当時)に会い説明した。昼夜戸外にいると仮定した厳しめの見積もりだと説明したところ、『それならただちに避難ではなく計画的に進めていくから』と言われた。その日の夜に記者会見してデータは公表した」

 ――今回の経験から何を教訓とすべきか。

 「チェーン・オブ・コマンド(指揮命令系統)が機能していなかったのが最も深刻な課題だ。トップが現場からの要請・要望を集め指示を下して解決に導くという仕組みがまったく機能せず、例えば東電本店は発電所からのニーズに耳を傾けず、余計な介入してばかりいた。発電所と本店、あるいは発電所と保安院といった組織と組織の間のコミュニケーションに問題があった。原発事故に対する訓練では、組織間の意思疎通がうまくいくかが重要で、発電所の中で閉じた訓練をしていてはだめだ。米国では事故の際に、緊急事態管理庁(FEMA)が大統領から全権を委任され関連省庁や軍にも指示を出せる。原子力規制委員会(NRC)は助言役に徹する。はっきりした仕組みがある。3.11後の日本にそれがあると言えるか」

班目氏の行動(3月15日)
0:00前 安全委オフィスへ戻り、仮眠
2:00ころ 官邸に呼ばれ、2号機の危機的状況を聞く
3:00過ぎ 首相応接室で東電撤退に関し意見を聞かれる
4:00ころ 菅首相と清水東電社長との会談に同席
5:35 東電本店での統合対策本部設置に同席
6:14 東電本店の小会議室で重大事象発生を知る。後に4号機爆発と認識
10:00ころ 安全委オフィスに立ち寄った後、官邸の福山副官房長室へ
12:53 原子力災害対策本部の会合
この間、官邸と東電を数回往復し。主に東電本店で、ホウ酸水注入やヘリによる4号機プールの状況観察・放水の可能性を議論
22:10 安全委オフィスに戻り,仮眠
 ――事故は防げたと思うか。

 「防げた。津波が襲来してからではどうしようもないが、設計時の想定を超える状態(設計拡張状態=Design Extension Conditions)で、安全機器が働くかをちゃんと確認し改善していれば、できた。非常用発電機の設置場所とか、1号機の非常用復水器の弁が緊急時に閉まる設計であったとか、災害前に見直していればよかった。それができなかったのは、設計時の想定を超える事故を考えるとなると、設計基準事故(Design Basis Accident)をもとに出した設置許可の取り消しにつながる議論が起きかねない。そこを心配してきたのだろう」

 「ただくしくも、事故の起きた翌週に安全委員会は設計基準を超えた事故への対策に関しシンポジウムを開く予定だった。保安院は3月中に作業部会を立ち上げて検討を始めることになっていた」

■取材を終えて

 班目氏が想定した「高圧溶融物放出」は「第2の最悪のシナリオ」とも呼べるものだ。事故からほぼ1年後に、民間の事故調査検証委員会が通称「最悪のシナリオ」と呼ばれる文書の存在を明らかにした。菅首相の指示により近藤駿介・原子力委員長が中心となって作成された。溶融燃料とコンクリートの反応による水蒸気爆発で事態が悪化し首都圏にも避難指示が出る可能性を指摘した。高圧溶融物放出でも核燃料が格納容器の外に飛び出し、手のつけようのない事態になった恐れがある。

 班目氏の話は記憶があいまいで、言い訳めくと感じられる部分がある。当時官邸にいた複数の政治家の記録で、同氏は頼りにならない専門家だとのレッテルを貼られてきた。しかし班目氏が事故当日、自らに何が期待されているかがわからなかったとする証言はリアリティーがあり聞き逃せない。政府中枢に必要な情報を提出し事故対応の前面に立つのは原子力安全・保安院であるはずだ。保安院付の肩書を与えられた資源エネルギー庁の安井氏が登場するまで、保安院は事実上、機能していなかった。おそらく官僚機構全体が事故に即応できなかったと推測される。そこにこそ重い教訓があるはずだ。

2014年1月6日月曜日

線量計もサーベイメーターも持たず、防護装備もせず、持ち出し物品の汚染検査もされずに帰還困難区域に出入り出来るようになっている

 がれき広域処理や食べて応援、100ベクレル/kgギリギリの食品でも売れないのは風評被害と言い、理屈の通らない除染で金をばら撒く、すべて共通するのは、放射能を封じ込めるという原則を無視した行政が行われているということ。こんな状態のままであれば、がれき広域処理が無くても、放射能が全国に広がるのは時間の問題である。

 放射能管理のずさんさがよく分かる例として以下を引用する。

(引用)
連携が問題

北村俊郎 2013.4.26
 毎度、現地の管理の杜撰さを指摘するのは気が滅入るが、書かない訳にはいかない。4月に入って富岡町の帰還困難区域はバリケードで囲われ、決められた出入り口は国道6号線にある消防署前の交差点から入る一箇所のみとなった。従来3カ月に1回だった一時帰宅も月1回となり、申し込めば好きな日に帰れるようになったのはありがたい。
 早速、郡山市にある町の仮庁舎に出向いて一時帰宅の申し込みをしたところ、15分ほどで立ち入り許可証が発行され、翌々日の立ち入りが出来ることになった。帰還困難区域の住民は、従来通り立ち入りの際の基地となっている福島第二原発の駐車場で線量計やサーベイメーター、防護装備などを受け取り、帰りにはまた、そこで汚染検査を受けるようになっていると、係りの女性が資料をもとに説明してくれた。
当日、国道6号線でいわき市経由、富岡町に入った。そこから海側に折れて、福島第二原発の駐車場に行ったが様子がおかしい。いままで交差点と中継基地周辺には10メートル間隔で係員が立って誘導していたが、今回は誰もいない。中継基地に到着すると、係員が3人、手持ち無沙汰にしており、「ここでは線量計など貸与する物品は置いていない。帰りの汚染検査も受けたい場合のみ、ここに来てもらえればやってあげます。6号国道に戻ってそのまま富岡町の中心部まで行ってください」と言われた。
 防護装備をしないまま、再び6号国道までもどって行くと、なるほど消防署の前の交差点で警察官が許可証をチェックしている。その近くのゲートには監視員がいた。一時立ち入りの案内書には線量計の所持や防護装備着用をするように書いてあったが、ゲートでの線量計や装備の点検はまったくなく、許可証を見せるとゲートを開門してくれた。物品を貸与する様子もない。約4時間の帰宅ののち、再びゲートに戻ると、何も調べず記録もせずに「お気をつけて」と愛想よく開門してくれた。帰りは基地には寄らず、そのまま6号線を経由して高速道路で避難先に戻った。
 端的に言えば、現在、現場では線量計もサーベイメーターも持たず、防護装備もせず、持ち出し物品の汚染検査もされずに帰還困難区域に出入り出来るようになっているということだ。過去に原発の現場で、極端に厳重な放射線管理を経験した私にとって、帰還困難区域の管理は狐につままれたようなものだ。ここまで管理を緩めて住民たちの自主性に任せきってよいのかと疑問に思うとともに、案内パンフレットに書いてあることと実際に行われていることが違っているなど、それぞれの係りの連携が取れていないのに驚いた。
 翌日、町役場に問い合わせると「基地の方は内閣府の所管ですが、それはまずいですね。貴重な情報ありがとうございます」とのこと。こんな実態を政府や県は把握しているのだろうか。縦割りで業務が行われていて、全体として矛盾なく、適正に行われているかを見ているところがないようである。福島第一原発の事故後、外国の原子力関係者の案内を頼まれることがあるが、こんな実態をなんと説明してよいものやら。頭が痛い。
多くの機関や部署が関わるプロジェクトや手続きについて、実際にスタートする前に、各機関などからメンバーを一名づつ出し、合同チームを編成して、入口から出口までリハーサルをやる方法を提案したい。東京電力のような大きな組織内でもこれをやると良い。野球でもサッカーでも、ダブルプレーやサインプレーは、何十回とグラウンドで練習を積み重ねて成功する。原発事故対応の関係者が、会議や文章のやり取りだけで、すべてがうまくいくと考えていること自体が間違っている。

日本エネルギー会議HP(http://enercon.jp/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/4212/)より

2014年1月5日日曜日

 「自主避難して正解」 福島民友2014年1月3日(1面)記事書き起こし

原発災害「復興」の影 ■自ら逃れる ① 

「自主避難して正解」 
肯定求める親の判断 古里を離れて心に負担

 「周りからは『大変ね』って、数え切れないぐらい言われる。母子避難という“ブランド”を背負っているような感じ」。長女(9)と長男(7)を連れて福島市から兵庫県西宮市に避難する赤間美沙子(35)は、自らに向けられる、周囲の同情的な目に戸惑いを感じている。「こっちは前向きなつもりなのに」

期限ぎりぎりに転居

 2012(平成24)年秋、12月で県外避難者のための住宅借り上げの新規受け付けが終わると聞いて、急に不安になった。18歳以下の県民を対象とした甲状腺検査で、子どもらの甲状腺に「嚢胞」などのしこりが見つかったと話題になったのもこのころだ。検査した機関は原発事故との関連を否定したが「うちの子は何もないとは言い切れない。後悔したくなかった」。期限ぎりぎりに、神戸市の知人に紹介してもらった西宮市のアパートの借り上げ手続きを済ませ、暮らし始めた。

 避難してから、放射線について調べ「やはり福島は危険だった」と思った。今は子どもらが砂遊びをしていても安心していられる。福島市に残る夫(37)には負担を掛けているが、やはり避難して良かったと思っている。

 昨年年の瀬に、福島市に一時帰宅。正月は夫と過ごした。福島の母親仲間とは、放射線に関する話題はあえて避けて、子どもの話に終始した。「サッカーやってるけど元気すぎて困ってる」

 相馬市から滋賀県栗東市に避難する元設備業佐藤勝十志(52)は11年11月に相馬の知人らと京都で再会した。長女が卒業した中学校の吹奏楽部が音楽祭に特別出演した。子どもらの前では「いつ帰ってくるの」などと当たり障りのないやりとりだったが、トイレや廊下で保護者と二人きりになった時、何人かから言われた。「今度、何かあったら子どもを避難させたい。預かってくれないか」

「もう仕事ないよ」

 佐藤は「人前では言えなかったんだな」と思った。「相馬は市民が一丸となって復興に進んでいるというのが建前。避難したいと言えない雰囲気があるのでは」と推測した。「裏切り者」「もう仕事はないよ」。相馬に一時的に戻ると、同業者からは厳しい言葉を投げ付けられる。しかし、佐藤は意に介さない。「仕事もいいが、家族に健康被害が出たらどうするんだ」

 国による避難指示のなかった地域から、他県や会津地域に避難したのは3万人程度とみられている。賠償などがある避難指示区域からの避難者と比べ、経営苦などが目立つとされるが、当人たちは「避難して良かった」「(地元に)残っていたら大変だった」と肯定的だ。

 福島大行政政策学類准教授の丹波史紀(40)=社会福祉論=は「自主避難者は職場や古里を捨てたのではという後ろめたさを感じている人が多く、避難が正しかったと思いたい気持ちが強い。地元で健康被害などがあれば、避難が正当化されるという考えもみられる」と指摘し、「自主避難者に『避難は悪いことではない』『間違ってない』と言ってあげるなどの支えが必要だ」と話す。

                         ◇

自主避難者は、避難による人間関係の変化や、支援制度の変遷などを経て、事故後3度目の正月を迎えている。避難者の現在の思い、境遇を追う。






2013年10月16日水曜日

飯館村でプルトニウム239の親核種であるネプツニウム239が数千ベクレル出たという話。

飯館村でプルトニウム239の親核種であるネプツニウム239が数千ベクレル出たという話。

2011年8月14日、自由報道協会のTHENEWSに掲載されたおしどりまこさんの記事
(元の記事が閲覧不能になっているため、ここに全文を引用します)

〜プルトニウム、『メディアと市民』〜

では、前回の続き。先生の研究室に伺ってお聞きした話です。なぜ、その先生のお名前を明かさないか、は後述いたします。

先生がおっしゃるには、事故直後の核種の解析の第一報はとても杜撰なものだったそう。3月16日に公表された日本分析センターの敷地内の土壌の核種を解析したデータは間違いが数箇所あったのですって。特に問題なのは、Cl38が出ていた、というもの。このデータを見た瞬間、先生は荷物をまとめて逃げようか、と思ったのですって。Cl38は世の中に絶対無いもので、核臨界、核爆発が起こらないと出てこない物質だからです。けどその同じデータにはNa24が全く無かった。これはおかしなことで、Cl38とNa24は必ず一緒に出るのです。
変だな、と思っているうちに、Cl38が検出されたというのはエラーでした、と訂正が入りました。でも、その訂正が入る前に、第一報はご丁寧に英訳まで付けて世界中を駆け巡ったそうです。そして、このような間違いはとてもレベルが低いとおっしゃってました。「学生が始めて解析して間違えちゃった、というのならなんとか許されるけど…」。えぇ!? そんなレベルの間違いなの? その他も、分析上のミスがあっちこっちあって、「これが日本の分析レベルか、科学レベルかと思うと恥ずかしい」。それが英訳付きで世界を駆け巡ったのか…。

そして、先生は独自で福島県内、原発の敷地前まで行き、土壌、稲藁、水の解析を始められたのです。その論文を見せて頂きました。
この論文は、今、海外の学会で審査にかけられてて、査読中なのです。ですから、詳しいデータや先生のお名前を明かすことができないのです。その論文が学会にアクセプトされるまで(学会誌に掲載のため採用されるまで)二重論文にならないよう、詳しいことは公表できないのです。

その論文の解析結果は恐ろしいものでした。
要点だけ書きます。
ネプツニウム239という物質が飯舘村で福島原発の正門と同程度検出された、というもの。ネプツニウム239、あまり聞いたことないでしょう? これはプルトニウム239の親核種となるのだそうです。

ウラン239→ネプツニウム239→プルトニウム239
とβ崩壊していくのです。

そして、ネプツニウム239の半減期は約2.4日。つまり、ネプツニウム239は2〜3日で半分がプルト君になるのです!
そしてその量の具体的な数字は出せませんが何千Bqという大変な量が検出されているのです。それがいずれ必ず、全てプルトニウムになるのです。

しかし、ネプツニウム239の段階で解析にかけられたのは幸運だった、と先生はおっしゃっておられました。
ネプツニウム239はγ線核種なのだけど、プルトニウム239はα線核種。α線核種は出している放射線がとても短く、見つけにくい、検出しにくいのです。
あら? ということは、ひょっとしたらその、先生が解析にかけられる以前の土壌には、もっとネプツニウム239があったかもしれない?
「その可能性は非常に高いと思います」
半減期が2〜3日だものね、ほとんどプルト君になっちゃってるのかもしれない。

「これからは核種のベクレル数が問題になってくると思います。空間線量はめやすでしかないんです」
そうね、私もそう思ってた! だって、例えば放射能汚染された食品の暫定基準値。飲料水のヨウ素の指標は300Bq/kg(まぁこれも問題あるけどさ)。けどプルトニウムは、超ウラン元素のα核種(プルトやアメリシウムやキュリウム)を全て合計しての指標が1Bq/kgなのです。
「プルトニウムなどのα核種が検出された場合、全てごちゃまぜの空間線量はめやすでしかなく、核種の組成、ベクレル数が問題なのです」

――では、α核種がないかしっかり検査しないとダメなんですね?
「α核種は核燃料管理区域でないと扱えません。そして核燃料を扱える場所は非常に限られているんです」

――原子炉を持ってる大学とか?
「原子炉を持つ大学でも1つか2つです。私もα核種を解析するときは、その手続きだけで泣きたくなるような手間がかかります。」

…気軽に測定できないのね…

この論文は日本の学会誌に出すといろいろ問題がある、ということで、全く関係無い海外の国際誌に出しておられるそうです。それもなんだかね。

査読が終わって審査に通りしだい、公表できるとのこと。
淡々と正確なデータを出し続けたい、とおっしゃるこの先生をなんとかお守りしたいです。これからも、どうか住民の方々のために、研究をお続けください、これからもよろしくお願いいたします、とお話しして帰りました。

余談だけど、途中で先生が、「ちょっとサンプルをお見せしましょうか?」と、いくつかの稲藁のサンプルと検出器を持ってきてくださいました。
ピッピッという音が放射線を関知している音なのだそう。飯舘や福島原発から1.4キロのサンプルはピーーーと鳴りっぱなし。そして、凄まじい値。
先生いわく「あ、少し被曝しちゃいますよ」。
わーー、先生、冷静におっしゃるけど、ドキドキするわよ!

***

 この情報を踏まえて、統合本部の共同会見で質問をしています。
しかし、文科省も東京電力も、先生が土壌をサンプリングしてネプツニウムを検出した場所では、検査をしていないの。文科省にぶら下がりでもお聞きしたけど、プルトニウムなんかあるわけない、という見解。ネプツニウムも無かった、とのこと。
東京電力のほうでは、福島原発の敷地内ではプルトニウムは見つかっているのね。 文科省のα線の解析は、実は初期にやっただけ。3月23日にサンプリングして4月1日に公表したときと、3月21、22日にサンプリングして4月26日に公表したときのデータしかありません。そして、そこには飯舘村は含まれていないのです。

8月3日に先生の研究室にお邪魔して、4日の会見のときに避難区域解除の考え方が発表されました。
そこで引っかかったのは「年20mSV以下、そしてゆくゆく年1mSV以下を目指すこと」というもの。
空間線量はめやすでしかない、と先生は昨日おっしゃってたけどな? それぞれの核種によって挙動も除染方法も違うし。
例えば、ヨウ素なら水に比較的溶けやすいから水をかければ流れていっちゃうの。土に染み込んだり(それも問題だけど)。セシウムは溶けにくいから土の表面上に残りやすいの。だから表土を削ったりしての除染。
このことを安全委員会にお聞きしました。

――空間線量だけで大丈夫? 核種のベクレル数が問題ではないの?

安全委員会・加藤さん「空間線量で充分だと考えています」

――核種によって除染方法が違うし、α核種があったら線量よりベクレル数が問題だと思うんですけど?

加藤さん「現在、ほぼセシウムしか無いと考えられておりますので、セシウムのことだけ考えればよいかと思います」

――ネプツ239が存在する、という情報があるのですが?

加藤さん「そのようなお話は聞いたことがありません。」

ああ! 早くその先生の論文が公表することができるようになりますように!

先生の研究室に一緒に行った飯舘の仲良しが「あー俺、肺がんで死ぬのやだよー、苦しいのやだよー」と何回も言っていたことが忘れられません。

***

 先日、とても驚いたことがありました。
南相馬の市民記者の方が、ヨウ素の内部被曝の危険性をご存知無かったこと。
「ヨウ素は半減期が過ぎてるから、もう心配しなくても大丈夫ですよ」
いやいやいや! ヨウ素の過去の内部被曝は問題だから!
「今はセシウムが出るからセシウムだけが問題なんですよ」
いやいやいや! 体からは排出されたり、半減期過ぎたりしてるけど、細胞が傷ついたことには変わりないから!
「でも、もうヨウ素は出てこないでしょ?」
いやいやいや! 大量にヨウ素被曝して細胞が傷つけられても、因果関係が証明できなくなっていることが問題なんですよ!
「そういうことは偉いお医者さんの先生とかに聞いたほうがいいんじゃないですか?」
いやいやいや!
頑張って10分くらいお話ししてましたが、だんだん、暴発しそうになったので、「また今度☆」と別れました。温厚なケンパルでさえ、「怒鳴りそうになった!」。

飯舘の仲良しと私が組んで動いてるように、南相馬のその方も住民の方と組んで動いてらっしゃるのかしら、と思ってお話を伺いたかったのですが、全く違いました。
南相馬の方々が、事故後、飯舘村に避難されていて、15日〜19日に避難所にいらしたその方々こそ、一番被曝されてるのではないか、と心配していたのです。開放的なところにおられたし、簡易水道を使っていらしたから。
安全委員会にもその方々のことを把握してるか、と聞いたことがありますが、「把握してないが、行動記録をつける問診表で県のほうで把握できるのではないか」という回答。でも問診表は外部被曝のみの片手落ちの調査ということは以前調べたからね(第11回参照)。
その南相馬の方々のことを南相馬の市民記者の方にお聞きしても「大丈夫なんじゃないですか? もう何ヶ月もすぎたし」。
わー、根本的に被曝のことをご存知ないのかもしれません。南相馬の市民記者の方っていっても、東京在住の方なのですが。

けど、内部被曝のことをご存知の方のほうが少ないのはしょうがないのかもしれません。テレビでも新聞でも一切、詳しく説明しませんからね。
飯舘の仲良しと電話で話しながら、そう言い合いました。
「俺たちみたいに、毎日内部被曝のことが必ず話題にのぼるほうが、おかしいかもね」
けど、南相馬の市民記者の方には知っておいて頂きたかったな! テレビや新聞以上のことを知っておいて頂きたかった。

8月10日に『いまメディアと市民はどう動くべきか』という討論会&記者会見に伺ってきました。けどね、正直、8割はピンと来なかった! (会見中は大幅にヨイショして、5割はピンと来なかったと言ったけど、ほんとはもっとだっつの!)
既存メディアとフリーランスがどう連携するか、とか、優秀なジャーナリストをどうやって育成するか、プロのジャーナリストとして食っていくためには、とか、学校作るか、とか、なんつーか、どうでもいいわ! 挙句のはてに、「市民に求めることは何もない、市民はジャーナリストが提供するニュースをただ受け取ってくれればいい」だってさ。それってけっこう、バカにしてない?
私は、既存メディアやフリーランスがどう変わろうが、そんなに何も変わらないと思います。受け手の私たちが変わらなければ。
だってさ、私たちがさ、変化に気付かなかったら、メディアがどう変わろうが意味ないでしょ? どの記者さんがどのジャーナリストが優秀なのか、きちんと見抜く力が私たちにあると思う? そもそも、優秀なジャーナリストの能力って何? いい記事ってどういうこと?

私は芸人として、自分のことを好きって言ってくださるお客さまがたを守りたいから、原発のことを調べて知らせていこうって思ったの。で、今、こうなってると。そして、情報、記事の見方が本当に変わりました。
2次情報で納得いかなければ1次情報まで調べるとか。同じニュースでも複数の局や新聞でどういう報じ方をしてるかを観察するとか。この情報でこういう表現をするということは、こういう意図でニュースを作ったんだな、とか。この新聞は批判記事に署名をつけないことが多いね、とか。
情報に対して、深く考えず無条件に信じて受け取る一方だったのが、無意識に「その情報がどう加工されたか」前提で受け取るようになっていったのです。
情報に対して、無条件で信じる「受動的」な状態から、いったん比較したり調べ直したりする「能動的」な状態になったのです。
今から考えると、自分が「お客さまに本当のことを調べて伝えたい」という気持ちが、はからずも、メディアになるという決定的な意識改革になったと思うのです。
受け手の意識が変わったら、既存メディアもフリーランスも、何もしなくても勝手に淘汰されるんじゃない?
そして、いったん自分がメディアになることで、既存メディアもフリーランスも、間違うこともあるかもね、と気付けるしね。記事って絶対的なものじゃないんだよね。

ローマ時代は、スポーツはプロのするものでした。スポーツは見世物で、プロスポーツ選手と観客しか存在しなかった。
でも、現在、みんな自分の健康のためにスポーツをするのは当たり前でしょ? スポーツはプロだけがするものじゃないでしょ? そして、みんながスポーツをするようになったからって、プロの質が下がったり、スポーツ人口が減ったりするものじゃないでしょ? それどころか、自分がやると理解が深まり、業界的に成熟して拡大していくでしょ?
私は、自分の健康のためにスポーツをやるように、自分の情報リテラシー(情報に対する能力)のためにメディアをやるべきだと思うのです。
現在のプロのメディアと視聴者、という形は、ローマ時代のプロスポーツ選手と観客、という古い形に重なるように思うのです。

メディアをやる、ということは何も難しいことじゃないと思います。会見に出たり、取材したり、ということばかりがメディアじゃない。
ツィッターのフォロワーさんが、仕事場で原発情報の壁新聞を作っている、とおっしゃってました。週一の発行でも大変、気軽な壁新聞だけど、記事を書くには情報をきちんと調べたり、あやふやな理解じゃないように、数値をまちがえないように気を使う、とのこと。
仲良しの60代のおばさまが、インターネットを見ない同年代の友達が全く原発のことを知らないから、とツイッターやネットの情報を集めてプリントアウトしてFAXでかたっぱしから送ったり、ネットの動画を集めて、家で上映会パーティーをする、とおっしゃってました。タクシーに乗っても「運転手さん、ちょっとメルアド教えて! 私が原発情報たくさん送ったげるから! 今どきテレビ新聞だけやったらあかんよ!」という積極性。自分で情報を知って考えて集めてそれを発信する、といった点では、すごいメディア人間だと思います。

地方だから会見に行けないし、忙しいからそんな暇ない、という考えではもったいない。今、こうやってマガジン9をネットで読んで頂いてるでしょ?
会見はネット動画で見れるし、資料、情報もネット上のを調べるだけで大変な量です。それが大変だから、と既存メディアに任せておいて、無条件に受け取るだけだったから、こんなことになっちゃったんだと思う。
忙しいから、と運動しなかったら肥満や成人病になっちゃうように、忙しいから、と情報のトレーニング、メディアをやらなかったら、何か恐ろしい結果が待ってるような気がします。
今、ネットとテレビ新聞の情報の乖離にいちはやく気付いた方々は、次は、自らがメディアになる番だと思うのです。

大切な方に、家族に、友達に、不特定多数に発信する。原発のことはほんと難しいけどね! 私も3月4月はどんどん知り合いを失くしたし、疎遠になったし、親とも毎日凄いケンカしたし。でもさー、人の縁を切る原発なんておかしくない? けど、あきらめず、怒らず、丁寧に原発のことを話し続けていきました。感情的にならず、事実を調べて、伝えていくだけ。だって、いっぱい調べて考えた本当のことなんだもん、そんなスタンス。今、思ったけど、自分が正しい、と思ったことを、くじけず発信し続けるのも凄いトレーニング!
『いまメディアと市民はどう動くべきか』の討論会では、記者クラブやらいろいろ時間がかかる、組織を変えるのは大変、みたいなことをしきりにおっしゃってたけど、私たちが一瞬で変われば、案外、世の中、今の状況は一瞬で変わるのかもしれません。
なぜなら、世の中のことを全く知らなかった私たちが短期間でどんどん変わったからです(震災前の私たちに、このアホウ! 物知らずめ! と言いたい)。

というわけで、プルト君情報のような、怖いニュースが溢れる世の中ですが、まぁもう一瞬で状況を変える方法を思いついたので、少し気が楽になりましたとさ。



【今週の針金】
夏の夜空に線量花火が上がりましたよ!



【緊急ニュース】
いわき市の4歳児が35mSV被曝について。

8月11日の朝のNHKのニュースで、3月の小児甲状腺サーベイで福島県のいわき市の4歳児が35mSVの被曝、そしてその情報が安全委員会のホームページから削除、という情報が流れました。「個人を特定できる可能性がある」ということで削除されていたのです。(NHKニュース「子どもの被ばく検査結果 削除」)

その情報は私も以前から持っていて、ある方が住所入りの文書を送ってくださったのですが、問題はその住所。
いわき市の、北部では無いのです。

小児甲状腺サーベイの件は安全委員会に、以前からずっと聞いていました。そして、甲状腺の等価線量のスクリーニングレベルは0.2μSV/hで、検査した子供たちの中での最高値は0.1μSV/hだと聞きました。
そのお子さまがこのいわき市の子供で、そして4歳児だったため、全身に受けた預託線量を換算すると35mSVという計算になったというわけです。
ちなみにその他の子供たち、飯舘や川俣の子供たちは0.04μSV/h以下。

なぜ、いわき市で最高値が出たのでしょうか? 検査日時が飯舘や川俣のほうが数日遅かったからでしょうか? (甲状腺にたまりやすいヨウ素は半減期が8日と早いから?)
飯舘や川俣は空間線量が高すぎて、バックグラウンドが高すぎて、正確な測定ができなかったという可能性は無いでしょうか?
いわき市の北部では高い濃度で放射線汚染されましたが、なぜ、いわき市北部でないこの4歳児が最高値だったのでしょうか? 食べ物による内部被曝? 被曝しやすい特別な行動をしていた?
そもそも、いわき市北部でないこの4歳児が小児甲状腺サーベイにピックアップされた理由は? 高い値が出そうな、被曝してそうな危険性があったから?

この数々の疑問に安全委員会は満足な回答をくださいません。そして、この情報が削除され、無かったことになってしまいました。
何より、35mSV被曝したとされるこの4歳児に、この事実がまだ伝えられてないこと、お母さまはご存知無いことが一番の大問題だと思います。
小児甲状腺サーベイの結果を伝える説明会は8月から、とのことでしたが、まだ日取りも決まらないということで、通知も一切無いのです。

このNHKのニュース、いわき市の4歳児が35mSV被曝のニュースの裏に これだけの疑問と問題があることをお伝えしたくて、取り急ぎ書きました。

<マガジン9>

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おしどりマコおしどりマコ プロフィール: アコーディオンと針金の『おしどり』吉本所属の芸人です☆シャンソンと猫を愛しています。相方、ケンパルとは死んでもまた巡りあって仲良くなるでしょう。 http://oshidori-mako.laff.jp/

投稿日: 2011年8月 14日. 投稿カテゴリー: FEATURE, おしどりマコ, メディア問題, 最新ニュース.
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3 コメント


大山弘一 • 2年前
南相馬市議 大山弘一 はじめまして 兵站基地、南相馬で土壌調査を2ヶ月以上訴え続けています。
こちらに記者さんが居れば お話がしたいです。今日は市長から公開質問状2件をとりました。

私の主張は http://www.youtube.com/v/CH-zqp4CuW0&hl=en_US&fs=1&

です。よろしくお願いいたします。実名顔だしで ルースチェンジをしていきます。


tatsmaki • 2年前
自立的で理性的な情報活動に連帯を表して、伝えること:
(1)米国でも、米人口の3/4が住んでる48の老朽原発は、配管腐食から放射性トリチウムを垂れ流し続けている。生存の脅威が増大している。さらにネブラスカ州ではミズーリ川の大氾濫で堤防が決壊し、Fort Calhoun原発とCooper原発が浸水して、放射性セシウム136が流出している。当局は非常事態宣言を出して避難行動中だ。American Fukushima Daiichiと言われている。だが米マスゴミは報道をストップして情報を隠蔽している。オバマと結託だな。米国のナチ化だ。ネットだけが真実を伝えている。http://gold.ap.teacup.com/tatsmaki/84.html
その上、1億km2以上のCorn Belt (トウモロコシ栽培地帯)が洪水で浸水して、放射線被曝が拡大している。1200万tの食用と飼料用の米トウモロコシ輸入は今後危険になってきた。
(2)米国人口の25%=7718万人の精神病者は 拡大中の放射線破局・迫るデフォルト・4500万人の貧困深化に直面している
American Medical Association (AMA)米国医学協会の発表によれば、米国民の25%が精神病者、精神障害を患っている人である(Newsland.ru 2011.8.13)。人口3億1180万人(2010.7現在)の25%=7795万人が精神病者である。通常、ジャーナリスト、医師、弁護士、検事、裁判官その他の専門家らは、このレッテルを貼っている。精神病者らの振舞いは一般的に認められた基準からはみ出している(ニューヨークの最近数ヵ月の例では、マクシム・ヘルマン、レヴィー・アーロン、ニコライ・ラコシその他多数)。
 精神医学の進歩にも拘らず、今日迄あれこれの人々に責任能力がない/あることの100%立証は不可能状態だ。精神医学の研究は70年前と同じレベルにある。基準に合わない行動する各米国人は今日、精神医学者ハービー・クレクリーが早くも1941年に行った定義に入れることが出来る‐「しばしば外見上は魅力的だが、内面的には利己的で頼りなく、嘘つきで無責任な人々。彼らは無分別な振舞いが特徴で、自分の誤りに余り学ばない。マジで、状況次第で彼らにはどんなことでも予想できる。万事問題は、彼らに何をすべきか:監獄に座らせるか、精神病クリニックへ送るか、または自由にさせるか?ということにある」と。ベトナム侵略戦争帰りやイラク侵略戦争帰り、アフガン占領軍帰りの復員軍人らの多くが精神病者になっていて、常時事件を起こしている。911の自作自演を強行したブッシュやチェイニーらも同類だろう。
 クレクリーの設問にたいする一意的で正しい回答は、これまでのところない。今日各人の近くに野放し状態になっているのは、巨大な量の精神病者らだ。一方では彼らは犯罪をやっていないが、他方では、彼らの不気味な振舞いは恐怖、不安とパニックを起こしている。
 格下げ景気後退後本格的なデフォルトが迫っており、4500万人の貧困者がフード・スタンプ(無料食券)支給制限/停止の危機と貧困の深化に直面している。こうした状況下で、上記7795万人の精神病者らを同援けるか、彼らはどう行動するのか、重大な問題を提起している。
http://gold.ap.teacup.com/tatsmaki/86.html


Aac67440 • 2年前
飯舘村のバックグラウンドは0.1マイクロシーベルト/時だったと測定した本人が、学会で報告してます。
 ↓
日本小児学会 4月17日
指定発言:福島県における小児甲状腺被ばく調査(5分)
 田代  聡(広島大学原爆放射線医科学研究所細胞修復制御研究分野)
 http://www.jpeds.or.jp/asx/jpe...
 http://www.jpeds.or.jp/touhoku...
この調査は信頼していません。


2013年9月20日金曜日

国際フリージャーナリスト大和和基の
Behind the Secret Report
コンスタンチン・ロガノフスキー/Konstantin Loganovski
ウクライナ医学アカデミー放射線医学研究センターのトップが明かす

これから子供たちに起きること
被曝は何をもやらすのか-
知能の低下、左脳に損傷
(週刊現代 2011年7月16日・23日合併号)


被曝によって、がんや白血病に罹るリスクが増すといわれる。では脳にはどんな影響があるのか。チェルノブイリ事故が起きたウクライナで、15年間調べ続けてきた研究者に聞いた。


被曝した子供たちには言語能力、分析能力の低下が見られた

「残念なことですが、チェルノブイリ原発事故によって住民や作業員に起きたことは同じように福島でも起きると、私は思います」

ウクライナ医学アカデミー放射線医学研究センター(キエフ市)のコンスタンチン・ロガノフスキー氏はこう話す。氏が所属する放射線医学研究センターは、1986年4月26日にソ連(現ウクライナ)で発生したチェルノブイリ原発事故で放出された放射性物質が人体にどのような影響を与えるかを調べるために、同年10月につくられた施設だ。200人の医師、1500人のスタッフがおり、ベッド数は534床ある。チェルノブイリ事故の人体への影響に関して研究している組織や機関は多数あるがここは最大規模だという。ロガノフスキー氏は、このセンターの精神神経学部門のトップを務める人物である。氏はこれまでどんな研究をしてきたのか。

「私がテーマにしているのは、チェルノブイリ事故によって放出された放射線が及ぼす中枢神経への影響と、被曝者のストレス、PTSD(心的外傷後ストレス渉障害)などです。対象としているのは原発作業員、避難民、汚染地域の住民などで、とくに力を入れているのは、事故当時に胎児だったケース。いま23歳から25歳となっていますが、彼らが5~6歳の頃から私はずっと追跡調査をしています」


あのときお腹の中にいた子たち

ロガノフスキー氏はチェルノブイリ原発が事故を起こしたとき、まだ医学部の4年生だったが、卒業後、このセンターに就職して、以来25年間、研究を続けている。氏の妻もここで小児科医を務めていて子供の被曝について調べているという。

氏のオフィスの壁面にはチェルノブイリ原発事故の写真が貼り付けてあるそれを指差しながら氏はここと福島の類似点を説明する。

「いまチェルノブイリ原発では放射性物質を完全に封じ込めるための工事が新たに進められています。石棺化した4号炉をさらにドームで覆ってしまうというものです。これを担当しているのはフランスの会社ですが、私はここで働いている作業員の医学面のケアもしています。

チェルノブイリで起きたことと福島であったことはよく似ている。事故後、最初にヨウ素が放出され、その後セシウムやストロンチウムが検出されるという流れもまったく同じですから。違いは福島には海があって、ここには河しかなかったことぐらいでしょう。したがってチェルノブイリ事故の後、住民や作業員に起きたことを見ていけば、これから福島でどういうことがあるか、わかるはずなのです」

日本でいま最も心配されているのは、胎児や子供たちの健康への影響だろう。それについて、ロガノフスキー氏が解説する。

「チェルノブイリは、広島に落とされた原爆のケースに比べれば被曝線量は低い。しかし深刻な内部被曝の被害者は多数います。甲状腺がんや神経系の病気の増加や、言語能力、分析能力の低下も見られました」

これら能力には左脳の関わりが深い。氏はその機能低下の原因について、次のように分析している。
「言語能力には脳の2つの部位が関係しています。ブローカ野とウェルニッケ野です。いずれも左脳にあります。脳の中でも最も重要な部位の一つといえるでしょう。私はここが損傷しているのではないかと考えています」


女性のほうが放射能の影響を受けやすい

ロガノフスキー氏らの研究チームが11歳から13歳までの被曝した子供たち100人を被曝していない子供たち50人と比較したところ、とくに左脳に変化が生じていることがわかった。氏は「母親の胎内における被曝体験が精神疾患を引き起こしたり、認知能力の低下をもたらしたりする」と述べ、脳波の変化と知能の低下も見られたと指摘する。

「被曝していないグループの知能指数の平均が116に対して、被曝したグループは107。つまり10程度ぐらいの差がありました。私の妻もrural-urban(地方・都会)効果を加味した調査、つまり地方と都会の教育格差を考慮した形の調査を実施しましたが、結果は同じで被曝者のほうが同程度低かったのです」

つい先日もロガノフスキー氏はノルウェーに出張してオスロ大学の責任者に被曝と知能の関係に関する研究の成果を聞いてきたばかりだという。

「ノルウェーは旧ソ連の国々を除くとチェルノブイリ事故の被害を最も受けた国です。この研究結果でも胎内で被曝した成人グループの言語能力は被曝していないグループに比べ低いと指摘していました」

胎児に関する研究でもう一つ気になるのは統合失調症をテーマにしたものだと、氏は話す。

「長崎大学医学部の中根充文名誉教授によると、原爆生存者の中に統合失調症の患者が増えており、胎児のときに被曝した人の中でもやはり患者が増えているという。ただ中根さんはこの病と被曝が関係あるという証拠がまだないと話していました。1994年のことです。統合失調症は左脳と関連があるといわれており、私たちも長崎大のものと同じような内容のデータを持っています」

ウクライナだけで20万人いろというチェルノブイリ事故の処理に当たった作業員たちの中にも、精神を病む人が出ていると、ロガノフスキー氏は言う。

「精神障害者は少なくありません。そのなかにはうつ病、PTSDが含まれています」

氏のチームの調査によって、自殺に走る作業員が多いことも判明した。

「私たちはエストニアの作業員を追跡調査しましたが、亡くなった作業員のうち20%が自殺でした。ただエストニアはとくに自殺は悪いことだとされている国なので、自殺した人間も心臓麻痺として処理されることがあり、実数はもっと多いのかもしれません」

精神的な病に陥るのは何も作業員に限ったことではない。京都大学原子炉実験所の今中哲二助教が編纂した『チェルノブイリ事故による放射能災害』によると、ベラルーシの専門化が調べた、同国の避難住民の精神障害罹患率は全住民のそれの2.06倍だった。また、放射能汚染地域の子供の精神障害罹患率は汚染されていない地域の子供の2倍だったという。

ロガノフスキー氏は被曝によって白血病やがんの患者が増えるだけでなく、脳など中枢神経もダメージを受けると考えているのだ。それは15年にわたる様々な調査・研究の成果でもある。

その他にどんな影響が人体にあるのだろうか。氏は様々な病名を挙げ続けた。

「作業員に関して言えば圧倒的に多いのはアテローム性動脈硬化症です。がんも多いのですが、心臓病や、脳卒中に代表される脳血管の病気も増えています。白内障も多い。目の血管は放射線のターゲットになりやすいからです」

さらに氏は遺伝的な影響もあるのではないかと考えている。

「チェルノブイリ事故の後、その影響でドイツやフィンランドでダウン症の子供が増えたという報告がありました。しかし、IAEA(国際原子力機関)やWHO(世界保健期間)はその研究に信憑性があると認めていません。ただ、私たち専門家の間ではなんらかの遺伝的な影響があると考えられています。小児科医である私の妻はチェルノブイリ事故で被曝した人々の子供や孫を調べましたが、事故の影響を受けていない子供と比較すると、はるかに健康状態が悪いことがわかりました。つまり被曝の影響は2代目、3代目、つまり子供やその子供にも出る可能性があるということです」

放射線の影響についてもっとはっきりしていることがある。それは「性差」で、氏によれば、「女性のほうが放射線の影響を受けやすいのだ」という。

「それは間違いありません。うつ病、内分泌機能の不全は女性のほうがずっと多い。チェルノブイリには女性の作業員がいたが、私はそういう点からいっても女性はそういう場で作業をやるべきではないと思っています」


低線量でも浴びれば健康を害する

では、これから福島や日本でどんなことが起こると予想できるのか。ロガノフスキー氏は慎重に言葉を選びながら、こう話した。

「女性に関しては今後、乳がんが増えるでしょう。肺がんなどの他のがんの患者も多くなると思います。作業員では白血病になる人が増加することになるでしょう。ただ病気によって、人によって発症の時期はまちまちです。たとえば白血病なら20年後というケースもありますが、甲状腺がんは5年後くらいでなることが多い」

脳や精神面、心理面ではどんな影響が出てくるのか。

「チェルノブイリの経験から言うと、まず津波、地震、身内の死などによるPTSDを発症する人が多数いるでしょう。放射能の影響を受けるのではないかという恐怖心から精神的に不安定になる人も出ます。アルコール依存症になったり、暴力的になったりする人もいるかもしれません」

ロガノフスキー氏は、実は福島第一原発事故直後に日本に援助の手を差し伸べようとしていた。

「私たちにはチェルノブイリでの経験があるし、たくさんのデータも持っているので、いろいろな面で協力できると思ったのです。そこで知り合いの医師たちを集めて、キエフの日本大使館に出向きましたが、門前払いされました。

チェルノブイリ事故が起きたとき、ソ連政府のアレンジによって、モスクワから心理学者や精神科医などからなる優秀なチームが避難所にやって来ました。彼らは地元ウクライナのスタッフと協力して被災者のケアに当たってくれたのです。福島ではそういうことがなされているのでしょうか。

ウクライナは裕福な国ではありませんが、チェルノブイリでの豊富な経験があります。私たちは今回、日本政府からお金をもらおうとして行動していたわけではありません。無償で協力しようとしただけなのです。拒否されるとは思わなかったので、とてもショックでした。

ロガノフスキー氏は、日本政府の姿勢に対して不信感を持っている。それは援助を断られたからだけではない。

「当初、発表された福島原発から漏れた放射性物質の量は実際とは違っていました。国と国の交流に大事なことは正確な情報を公開することです」

では、日本政府が定めた「年間20ミリシーベルト、毎時3.8マイクロシーベルト」という被曝限度量については、どう考えているのか。

「一般人は年間1ミリシーベルト、原発関連で働いている作業員は20ミリシーベルトが適性だと思います。これが国際基準です」

つまり、日本政府の基準を鵜呑みにしては危ないと考えているのだ。さらにロガノフスキー氏は低線量の被曝でも健康被害はあると指摘する。

「値が低ければ急性放射線症にはなりませんが、がんに罹りやすくなるなど長期的な影響はあります。そういう意味では低線量被曝も危険です」

これが、ロガノフスキー氏が長年、行ってきた低線量被曝が健康を害するかどうかの研究の結論である。氏は「ノルウェーでも同じ結論を出した学者がいる」と話す。


子供はなるべく遠くへ逃げなさい

だとしたら、どうやって自分や家族を守っていけばよいのだろうか。とくに子供や妊婦はどうすればいいのか、ロガノフスキー氏にたずねた。

「まず最も大事なのは正確な線量の測定をすることでしょう。いま私が座っているところが安全でも2m離れたあなたが座っているところは危険かもしれないからです。福島や東京にもホットスポットがあるようですが、チェルノブイリでも同じです。原発を中心に円を描いても、その内側に安全なゾーンもあれば、外側に危険なゾーンもあります。だからこそ住んでいるところの線量をきちんと測る必要があるのです。

次に大事なことはクリーンな水と食べ物を口にすることです。日本政府が定めている基準より線量が低いからいいというのではなく、私は完全にクリーンなものだけを摂ることを勧めます。これはあくまでも内部被曝の問題だからです。一度、体内に入ってからでは遅すぎます」

そして、氏は政府や東電にも専門家の立場から注文をつける。

「被災者や国民への精神的なサポートをきちんとやることが大切です。人間は不安の中で生活すると脳や精神面に悪い影響が出ます。それは放射線を浴びる以上によくないことかもしれません。そんな不安を軽減するためには正確な情報が必要です。日本政府や東電は情報を隠蔽したり、ウソの情報を流したりしたといわれますが、それは絶対にやってはいけません」

ロガノフスキー氏は、私たちに最後にこうアドバイスした。

「子供はとくに放射線の影響を受けやすいので、本当は海外に出るのがいいと思いますが、現実にはみななかなかできないでしょう。だからせめて、できるかぎり線量の高いところから離れて暮らすよう心がけてください」


2013年9月11日水曜日

いまさら聞けない、α線、β線、γ線の違いと内部被曝の評価について

なぜ、日本政府や原発推進派がいう内部被曝の危険性が過小評価であるか?

次の、Q-Aを読めば容易に理解できると思います。α線とβ線は放射性物質の近傍の細胞組織に集中的に大きなエネルギーを与えるため、放射性物質が体内に入った場合の影響は、γ線より、α、β線の方がはるかに大きなダメージとなるのに、そのような影響を無視して、体細胞全体で平均化されるように評価が行われているからです。

(ジーエフソリューションズ有限会社のサイト資料)

[Q&A] 外部被曝と内部被曝でγ線とα線の危険度が逆になるのはなぜ?

【質問】
外部被曝を防ぐための遮蔽は、α線は紙一枚、β線は数mmのアルミ板で防げますが、γ線は10cmの鉛板が必要と聞きました。ですので、γ線に注意しなければいけないというのは理解できるのですが、内部被曝では、α線が一番危険で、次にβ線、そしてγ線の順になるということです。
どうして、外部被曝と内部被曝では、危険性の順序が逆になるのでしょうか?
【回答】
ご質問のように、外部被曝から体を守るためには十分な遮蔽をすれば良いわけですが、遮蔽というのは、放射線をはね返しているのではなく、遮蔽材は放射線を吸収しているのです。α線はたった1枚の紙でも吸収してしまえるわけですね。
次に内部被曝について考えてみましょう。
内部被曝というのは、食品を摂取したり、呼吸によって体内に取り込まれた放射線源からの影響が問題となります。もしα線源が体内に取り込まれると、紙一枚でも吸収してしまうわけですから、放射されるα線はほぼ全て人体が吸収してしまいます。その結果、遺伝子を構成するDNAの分子が損傷を受けたりする、これが内部被曝です。逆にγ線はほとんど人体で吸収されずに体外に突き抜けてゆきます。人体で吸収されにくいということは、人体が受ける影響も少ないという理屈です。
β線はその中間的な位置づけになりますが、β線しか出さないストロンチウム90という核種は、骨に吸収されるため体内に長く留まります。血液は、骨の中心にある骨髄という部分で作られるのですが、そのすぐそばで長期にわたって放射線を出し続けるため、血液のがんである白血病や骨髄腫などの原因となる、危険性の高い核種といえるでしょう。
除染作業などを行っている時は、外部被曝を避けるのは当然のことですが、いったん放射性物質が体内に入ると、内部被曝の危険に曝されることになります。
したがって、放射性物質を取り込まないよう、マスクをきちんとつけ、除染作業中は飲食はしない、等の注意が必要となります。