2014年3月5日水曜日

福島第一原発建屋周辺の地下水は約100メートルほど離れた海水の潮位変動を受けるため、建屋内の汚染水が地下水に混じる可能性があり得る

「焦点:汚染水問題で危機深まる福島第1原発、海洋放出にも高い壁」

REUTER:2013年 08月 22日 16:15 JST

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[東京/いわき市(福島県) 22日 ロイター] - 深刻化する福島第1原子力発電所の放射能汚染水問題をめぐり、東京電力(9501.T: 株価, ニュース, レポート)への新たな不信が広がっている。
海に放射性物質を漏らした東電に対して漁業者の反発は強く、事態打開の鍵を握る非汚染地下水や低濃度水の海洋放出も難航が予想される。汚染水処理は同原発の廃炉作業にとって最大の障害となっているが、抜本策の展望が開けないまま、一段と危機の度合いを深めつつある。
<海に漏れた汚染水、漁業者の不信招く>
廃炉作業が進む福島第1原発では、地下水流入により1日約400トンのペースで汚染水が増加し、ほぼ同量を地上のタンクに収容し続けてきた。4月には地下貯水槽からの汚染水漏れもあり、6月までにこの分も全て地上タンクに移送した。
その結果、保管している汚染水は約33万トンにまで蓄積。総容量が約39万トン(8月中旬時点)にとどまっているタンクの増強は避けられず、東電は2015年中頃には70万トン、2016年度中には80万トンに増やす計画だ。
タンクでの保管とともに、東電は地下水を原子炉建屋に入る前にくみ上げ、「バイパス」を通じて海に放出することで、汚染水の発生量そのものを低減させる計画も打ち出した。この作戦で海に流すのは汚染前の水。地元の漁業者の理解が得られれば、汚染水問題の解決へ大きく前進するはずだった。
しかし、その道を自ら閉ざしたのは東電側、という声がいま地元の漁業者に広がりつつある。「地下水バイパスは、県漁連執行部としては協力すべきだと考えている。何とか漁業者の理解を得ようと努力してきた」と福島県漁業協同組合連合会(県漁連)の野崎哲会長は話す。「漁業者の間で汚染水と(汚染前の)地下水の区別がつき始めていた。ただ、東電は汚染水を海に漏らさないとずっと言っていたのに、漏れてしまった。これは危機的でしょうというのが漁業者の受け止めだ」。
汚染水の海への漏えいを否定し続けた挙げ句に、東電は参院選の投開票日翌日(7月22日)にようやくその実態を認めた。地元の協力姿勢に水を差す、東電の不透明な対応。漁業者の反発を受け、汚染前の水を海に流す作戦は実施できていない。
一方、汚染前の水だけでなく、汚染濃度を許容レベルまで低めた水を海洋に放出するという方法も、同様に立ち往生する可能性がある。汚染水を貯蔵するタンクは無尽蔵には作れない。汚染水から除去可能な放射性物質を取り除く同作戦について、原子力規制委員会の田中俊一委員長が記者会見で必要性に言及し、茂木敏充経産相も低濃度汚染水を放出する方針を示唆するなど、政府関係者による実施への地ならしは始まってる。
しかし、漁業者にとって、低濃度水の放出はどこまで認められるのか。福島県漁連の野崎会長は、「汚染された水の意図的な海洋流出は止めてほしい」との立場だ。放出する水は放射能濃度が十分に低いものが対象になるとして、政府は今後、漁業者に理解を求めるとみられるが、野崎氏は「国際機関の評価をもらわないと駄目だろう」と厳しい条件を付ける。
海洋への放出がままならない中、福島第1原発の汚染水処理は、地上タンクでの保管に頼らざるを得ないのが現状だ。しかし、今月20日には、頼みのタンクから約300トンの汚染水が漏れていたと東電は発表。漏れた汚染水から、ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり8000万ベクレルと極めて高い濃度が検出された。
タンク漏れを発表した当初、東電は汚染水が海に流れた可能性について否定的だったが、21日には「汚染水が海に流れた可能性は否定できない」との見解を示した。漏れた汚染水は排水溝を通じて外洋に流れた可能性があるという。
問題となったタンクは、鉄の胴体部の接合部を樹脂製のパッキンで挟んでボルトで締めて組み立てる構造。接合部を溶接するタイプの方が保管性能が高いが、組み立て型は「早期に建設できる」(原子力・立地本の尾野昌之・本部長代理)というメリットがあるため、最近まで増設の大半を占めてきた。
この組み立て型について、メーカーが保証するパッキンの耐用年数は5年。タンクの運用開始から既に2年近くになるが、3年後にはパッキンなどタンク部品の交換や修理が大きな課題となる可能性がある。東電は今後増やすタンクは溶接型を主体とする方針だが、約1060基あるタンクのうち組み立て型タンクは約350基あり、早期の抜本的な入れ替えは困難だ。
<議論わかれる発生ルート、つかめぬ実態>
福島原発の汚染水処理に効果的な抜本策が取れない背景には、高い放射線量が障害となり原子炉建屋内に人が入れず、そこに溜まっている汚染水の状況やその発生メカニズムもいまだに正確に把握できていない、という事情もある。 
汚染水が発生するメカニズムについて、政府の説明はこうだ。福島第1原発1─4号機には1日約1000トンの地下水が流入し、このうち約400トンが原子炉建屋などに流入して、残りの約600トンの一部(推定300トン)が配管や電線を通す地下のトレンチ内の汚染源に触れ、海に放出されている。ただし、建屋の中に入り込んで汚染された地下水は、建屋周辺の地下水よりも水位が低いので外に漏れ出すことはない、という。
これに対し、産業技術総合研究所・地圏資源環境研究部門の丸井敦尚・総括研究主幹は、「政府や東電の説明は完全ではない」と指摘する。建屋周辺の地下水は約100メートルほど離れた海水の潮位変動を受けるため、建屋内の汚染水が地下水に混じる可能性があり得るためだ。
5月下旬以降、福島第1の海岸近くのエリアで高濃度の放射性物質の検出が目立ってきたが、丸井氏は「海岸べりが汚染されるルートは4つほどあると思っている」と話す。4ルートには東電などが説明するようにトレンチからの漏水を含む。その上で、同氏は最悪のシナリオとして、「あっては困るのが、メルトスルーが起きて、燃料が(建屋の)外側に落ちて直接地下水を汚染するパターンだ」と指摘する。
そのメルトスルーが起きている可能性がどの程度高いかについては、「観測データがないから技術者、科学者の立場では何とも言えない。ただ、可能性は十分あるので調べないといけない」と強調する。同氏は、「敷地の中の地下水の全体像を把握するためにも、観測井戸をもっと増やさないといけない」と述べている。
汚染水処理に絡む東電の対応について、経産省内に設置された「汚染水処理対策委員会」のメンバーである国土交通省・国土技術政策総合研究所の藤田光一・研究総務官は、「個人的な感想だが、危機的な状況の繰り返しだから、どうしても目の前に起きた事象への対処が中心になる」と指摘。「最前線での取り組みと並行して、余裕をもって全体を見る姿勢をもっと強めていかないといけない」と、東電に注文を付けている。
(浜田 健太郎 編集;北松 克朗)

2014年3月3日月曜日

「セシウム検査で判明した子どもの体内被曝の深刻度」という記事で、編集長を懲戒解雇

朝日新聞社は8日、「重大な就業規則違反」があったとして、同社子会社の朝日新聞出版が発行する週刊朝日の小境郁也編集長を解任、同日付で懲戒解雇処分にしたと発表。

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セシウム検査で判明した子どもの体内被曝の深刻度


関東15市町で実施されている最新検査で、子どもたちの尿の7割からセシウムが検出されていたことがわかった。ジャーナリストの桐島瞬氏は、その被曝の深刻度を明らかにする。

*  *  *
 入手したショッキングなデータをまず、ご紹介しよう。常総生活協同組合(茨城県守谷市)が、松戸、柏、つくば、取手など千葉、茨城の15市町に住む0歳から18歳までの子どもを対象に実施した尿検査の結果である。

「初めの10人を終えたとき、すでに9人からセシウム134か137を検出していました。予備検査を含めた最高値は1リットル当たり1.683ベクレル。参考までに調べた大人は2.5ベクレルという高い数値でした。いまも検査は継続中ですが、すでに測定を終えた85人中、約7割に相当する58人の尿から1ベクレル以下のセシウムが出ています」(常総生協の横関純一さん)

 検査を始めたのは、原発事故から1年半が経過した昨年11月。検査対象全員の146人を終える来年明けごろには、セシウムが検出される子どもの数はさらに膨れ上がっているだろう。

 セシウム134と137はウランの核分裂などにより生じ、自然界には存在しない物質だ。福島から近い関東の子どもたちが、原発事故で飛び散ったセシウムを体内に取り込んでいるのは間違いないだろう。副理事長の大石光伸氏が言う。

「子どもたちが食べ物から常時セシウムを摂取していることが明らかになりました。例えば8歳の子どもの尿に1ベクレル含まれていると、1日に同じだけ取り込んでいると言われます。内部被曝にしきい値はないので、長い目で健康チェックをしていく必要があります」

 関東だけではない。放射能汚染による体内被曝が、東海や東北地方にまで及んでいることも分かった。福島を中心に200人以上の子どもの尿検査を続けている「福島老朽原発を考える会」事務局長の青木一政氏が、実例を挙げて説明する。

「昨年11月に静岡県伊東市在住の10歳の男児、一昨年9月には岩手県一関市在住の4歳の女児の尿からセシウムが出ました。この女児の場合、4.64ベクレルという高い数字が出たため食べ物を調べたところ、祖母の畑で採れた野菜を気にせずに食ベていたのです。試しに測ってみたら、干しシイタケから1キロ当たり1810ベクレルが検出されました」

 食品に含まれる放射性セシウムの基準値は、1キログラムあたり一般食品100ベクレル、牛乳と乳児用食品50ベクレル、飲料水と飲用茶10ベクレルだ。ただし、基準そのものに不信感を持つ消費者も多い。検査もサンプル調査だから、東日本の食材を敬遠し、なおかつ1ベクレルでも気にする風潮につながっている。

 体内にセシウムを取り込むと、どういう影響が出るのか。内部被曝に詳しい琉球大学名誉教授の矢ケ崎克馬氏が解説する。

「セシウムは体のあらゆる臓器に蓄積し、子どもの甲状腺も例外ではありません。体内で発する放射線は細胞組織のつながりを分断し、体の機能不全を起こします。震災後、福島や関東地方の子どもたちに鼻血や下血などが見られたり甲状腺がんが増えているのも、内部被曝が原因です。怖いのは、切断された遺伝子同士が元に戻ろうとして、間違ったつながり方をしてしまう『遺伝子組み換え』で、これが集積するとがんになる可能性があります」

 矢ケ崎氏は、尿中に含まれるセシウム137がガンマ線だけ勘定して1ベクレルだとすれば、ベータ線も考慮すると体内に大人でおよそ240ベクレルのセシウムが存在し、それに加えてストロンチウム90もセシウムの半分程度あるとみる。

 体に入ったセシウムは大人約80日、子ども約40日の半減期で排出されるが、食物摂取で体内被曝し、放射線を発する状態が続くことが危険だと言う。

 常総生協が昨年度、食品1788品目を調査した資料がここにある。結果を見ると、280品目からセシウムが検出されていた。米74%、きのこ63%、お茶50%、それに3割近い一般食品にもセシウムが含まれていたのだ。

※週刊朝日  2013年10月4日号
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2014年2月19日水曜日

八王子市戸吹清掃工場における飛灰のセシウム濃度の変化

八王子市戸吹清掃工場における飛灰のセシウム濃度23年7月から毎月31カ月分のデータをグラフ化した。
31か月目は26年1月のデータで、全セシウム225ベクレル/kg、セシウム137が173ベクレル/kg、セシウム134が52ベクレルとなっている。北野清掃工場も同様の傾向が見れる。
なお、戸吹清掃工場では、25年1月9日~2月28日(19月~20月)まで、女川町の災害廃棄物約500トンの受け入れを実施した。





年月日 137+134 137 134
230706 1 2470 1290 1180

230819 2 1459 813 646
230930 3 2168 1190 978
231020 4 1482 825 657
231118 5 1079 607 472
231222 6 952 529 423
240117 7 770 440 330
240215 8 1290 720 570
240307 9 640 370 270
240403 10 689 373 316
240517 11 865 520 345
240627 12 830 508 322
240717 13 828 512 316
240806 14 622 391 231
240910 15 623 385 238
241010 16 709 431 278
241119 17 697 430 267
241203 18 1018 642 376
250121 19 272 178 94
250208 20 455 282 173
250312 21 528 326 202
250403 22 452 305 147
250508 23 638 431 207
250603 24 682 450 232
250702 25 423 282 141
250809 26 452 300 152
250905 27 400 298 102
251002 28 390 269 121
251107 29 308 213 95
251205 30 385 282 103
260109 31 225 173 52

2014年1月25日土曜日

秘密保護法 共謀罪 心の中も取り締まる(信濃毎日新聞 11月24日(日)社説より)

戦前、思想や言論、結社の弾圧に使われた治安維持法の「協議罪」が「共謀罪」と名を変えて再現された。自首による刑の減免規定は、密告社会をつくることにつながる。

(引用)
秘密保護法 共謀罪 心の中も取り締まる
信濃毎日新聞 2013年11月24日(日)社説より

 戦前、思想や言論、結社の弾圧に使われた治安維持法は「協議罪」が多用された。
  この法律は特定の思想を持った結社を組織することやその組織への加入を処罰することを主眼とした。そこに、話し合うだけで処罰する協議罪を盛ることで、組織に加入するという実行行為の前段階での取り締まりを可能にした。
  典型が全国で1600人近くが逮捕、拘留された1928(昭和3)年の3・15事件だ。逮捕された人の多くは、共産党や労働農民党などに入党していなかった。
  この協議罪が「共謀罪」と名前を変え、今、衆院で審議されている特定秘密保護法案の中に入り込んでいる。しかも、共謀罪については自首すれば、刑を軽くするだけではなく、免除するとまで規定する。これが何を意味するのか―。国会審議でもほとんど論議されず、修正協議でも取り上げられなかった隠れた重要問題だ。

   <監視社会になる心配>

  日本の刑事法では、犯罪は実行行為があって初めて処罰する。国の統治機構を破壊する内乱罪などごく一部の例外を除いて、謀議(犯行の話し合い)だけでは罰しないのが原則だ。
  刑事法の専門家によると、心の中の問題で人を処罰した治安維持法の苦い教訓によって、戦後、共謀罪を規定することには抑制が働いてきた。
  それが働かなかったのが01年の自衛隊法改正による共謀罪の新設だ。ただ、その対象は秘密漏えいに限られている。
  特定秘密保護法案では、情報を取得しようとした側にも共謀罪が適用される。秘密をつかんでいなくても、何とか得ようと誰かと話し合っただけで、処罰される場合がある。
  しかも、共謀は言葉を交わさない「暗黙の了解」でも成立するとされる。罪は心の中に及ぶ。捜査側から見れば、共謀罪があれば情報漏えいという結果が発生しなくても、治安維持法のように、その前段階で取り締まることができる。
 それにしても、どうやって話し合っただけのことを知ることができるのか―。実はそこに、自首による刑の減免規定が密接に関わっているのだ。
  捜査当局は、あなたは罪に問わないから話し合った内容を教えなさいと密告を促すことができる。あるいは、市民団体などの中に協力者をつくったり、潜入させたりし、共謀が行われた時点で協力者に自首させる方法もある。
 実行行為がなく物証が乏しいので、逮捕された人の取り調べも自白強要になりやすい問題がある。
  実際に立件されなくても、この規定があるだけで、人々を疑心暗鬼にさせ、相互監視社会をつくりだす。非公開の情報にアクセスする市民の行為を萎縮させるのは明らかだ。

   <通信傍受の拡大も>

  この法案と前後して進む気がかりな動きがある。通信傍受法の対象拡大だ。
 この法律は、犯罪の首謀者らの摘発を目的に2000年に施行された。対象の犯罪を薬物、銃器、集団密航、組織的殺人の4分野に限り、捜査機関が裁判官の令状に基づき電話やファクス、電子メールを傍受することを認めている。
  この傍受対象の拡大が、法相の諮問機関、法制審議会の特別部会で検討されている。一昨年に発足した部会は本来、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を契機に、取り調べの録音・録画(可視化)を法制化するのが主なテーマだった。
  ところが、可視化によって組織犯罪などの摘発が困難になるとする検察、警察が見返りとして、捜査をしやすくする通信傍受の拡大を求めている。
  拡大されれば、特定秘密保護法案の共謀罪のように立証しにくい罪が通信傍受の対象になる可能性は高い。法案の検証に取り組む弁護士グループはそうみている。
  86年に発覚した神奈川県警による共産党幹部宅電話盗聴事件で、公安警察の違法な情報収集活動が明らかになった。傍受対象の拡大は、こうした活動に法のお墨付きを与えることになりかねない。政府に批判的な個人や団体には、秘密取得の共謀の恐れがあるという理由で盗聴される可能性がつきまとうことになる。

    <憲法を掘り崩す>

  共謀罪新設をめぐる経過は、もぐらたたきのようだ。
  03年以降、組織犯罪処罰法の改正案の中に盛り込む形で国会に3回提出された。恣意(しい)的な適用の恐れがあるとして野党のほか日弁連、市民団体などが強く反対。いずれも廃案になった。すると今度は特定秘密保護法案の中に顔をのぞかせた。
  「内心の自由」は、思想・良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由として憲法で保障されている。共謀罪という“もぐら”は、これを掘り崩す。

2014年1月16日木曜日

班目氏、3年目の証言 「あり得た、フクシマ最悪の筋書き」

 福島第一原発事故の、いわゆる最悪のシナリオには、「溶融燃料とコンクリートの反応による水蒸気爆発で事態が悪化し首都圏にも避難指示」というシナリオの他に、「高圧溶融物放出で核燃料が格納容器の外に飛び出し、手のつけようのない事態になる」というものもあった。 斑目氏は相変わらず自己正当化に終始し、どこまで本当のことを語っているかは疑問だが、国民の生命財産が、最悪の事態になればなるほど、このような人たちにゆだねられるような構造になっていることは事実である。

以下引用日経新聞 科学記者の目 2014/1/10

 班目氏、3年目の証言 「あり得た、フクシマ最悪の筋書き」 
編集委員 滝 順一
 東日本大震災で起きた福島第1原子力発電所の事故当時、原子力安全委員長だった班目春樹氏(東京大学名誉教授)。原発事故時には政府に技術的助言を与える立場にあったが、的確な助言ができなかったとして非難を浴びた。2012年夏に退任して以来、表舞台に出ることはほとんどなかった同氏がこのほど日本経済新聞の取材に応じた。
 その中で班目氏は、溶融核燃料が格納容器の外に飛び出る最悪の事態を一時想定したことを明らかにした。また現在の原子力防災の体制については、福島の教訓を十分にくみ取っていないとも指摘。首相の近くにいて事故対応にあたった班目氏の証言や分析は今後の原子力行政を考える上で参考になりうる。当時を振り返りながら、弁明も含めて重い口を開いた。
■「部屋で行われていることが何かわかっていなかった」
福島第1原子力発電所の事故当時、首相の近くにいて対応にあたった班目春樹・前原子力安全委員長

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福島第1原子力発電所の事故当時、首相の近くにいて対応にあたった班目春樹・前原子力安全委員長
 ――東日本大震災の発災時にはどこにいたか。
 「(3月11日の)2時46分には原子力安全委員会(霞が関の中央合同庁舎4号館)のオフィスにいた。1時間ほど過ぎたころ、原子力災害対策特別措置法に基づく10条通報(全交流電源喪失)があり、やがて15条通報(非常用炉心冷却装置注水不能)もきた。原子力災害対策本部が立ち上がるはずだが、連絡がなかなか来ないので、行って待っていようと考え、首相官邸へ行った」
 「15条通報の文書には、原子炉への注水ができず炉内水位が見えないので、念のため通報するとあった。このことから私は、直流電源(蓄電池)は生き残ったと思い込んでいた。水位計は壊れていて水位が読めないのだなと楽観的に考えていた。直流電源は少なくとも8時間、おそらく半日くらいは十分にもつだろうから、早く電源車などを確保して直流電源を維持すればよいと考えていた」
 「19時ころに原災本部の会議が開かれたが、このときは地震と津波の対策協議が主で、原発はそれほど大きな話題にはならなかったと記憶している。私に発言の機会はなかった」
 「その後いったんオフィスに戻ったが、官邸から呼ばれ、21時ころに官邸地下の危機管理センターの横にある中二階の小さな会議室に初めて入った。政治家の人たちが大変心配していて、これからどうなると尋ねられた。部屋には原子力安全・保安院の平岡英治次長(当時)らがいたが、質問に答えられなかったのだと思う」



班目氏の行動(3月11日)

14:46 地震発生(原子力安全委員会オフィスに在席)

15:42 10条通報(1~5号機の全交流電源喪失)

16:00 安全委臨時会議を開催し緊急技術助言組織を立ち上げる。臨機応変の対応を宣言

16:45 15条通報(1、2号機の非常用炉心冷却装置注水不能、直流電源喪失の連絡はなかった)

17:40ころ 首相官邸へ。電源車の調達を知り、是認

19:03 原子力災害対策本部開催(発言機会なし、20:00ころいったん安全委オフィスに戻る)

21:00ころ 官邸へ。3km圏内避難指示、炉心損傷を防ぐため注水とベント(排気)を助言
 「海岸近くにある冷却系施設が津波で壊れているはずだから、(炉心で発生する)熱の捨て場がない。熱を捨てるには炉心に水をぶち込んで、水蒸気の形で熱を空気中に出すしかない。熱の捨て場を確保する目的で、ベント(排気)をしてくださいと進言した。この時点では炉心が溶け始めているとは思っていなかった」

 「また周辺住民の避難に関して、私が3キロ圏の避難を進言したことになっている。ここは記憶があいまいなのだが、国際原子力機関(IAEA)の予防的措置範囲(PAZ=Precautionary Action Zone)が3~5キロだと承知しているので、3キロではどうかと問われれば、それでよい、国際的な考え方からも予防的に避難させるべきだと答えたに違いない。すでに福島県が2キロ圏内の避難を指示していることもおそらくそのときに聞いたはずだ」

 「後から振り返れば、私はこのとき部屋で行われていることが何かわかっていなかった。原発事故の際には保安院の緊急時対応センター(ERC、経済産業省別館)で指揮がとられることになっていた。ERCでは指揮がとられていて、私は政治家の人たちに解説をすればよいのだと思っていた。ただ矢継ぎ早の質問に対し、私は何の資料も原発の図面すらなく、ただ記憶だけで答えていた。11日の夕方には原子力安全委員がオフィスに集まり始めていたが、官邸地下の危機管理センターからは携帯電話がかけられず、助けを得られなかった」

班目氏の行動(3月12日)
0:55 1号機格納容器の圧力上昇の情報
電源車到着するが、電源復旧できず、電源盤損傷の疑いを抱く
3:00ころ 2号機の隔離時冷却系(RCIC)運転の情報を確認(危険なのは1号機と判断)
5:00ころ 首相の現地視察への同行依頼を受ける
5:44 10km圏内の避難指示
6:14 菅首相に同行しヘリで官邸を発つ(機内で首相に水素爆発の説明)
7:11 福島第1原発へ到着(到着後、ベント未実施を知る)
8:04 福島第1原発を出発
10:47 官邸に帰着し安全委オフィスに徒歩で戻る
12:08 原子力災害対策本部の会議(11:35呼び出し受ける)
13:00ころ 福島県選出国会議員への説明(13:30ころ以降は首相応接室に滞在)
15:18 1号機のベント成功の情報。その後、海水注入の問題点を議論
15:50ころ 1号機で白煙発生の情報
17:00ころ テレビで1号機爆発を確認、水素爆発と直感。その後、菅首相の求めで久木田委員長代理を推薦
19:30ころ 安全委オフィスに戻る
22:05 原子力災害対策本部の会議(再び官邸)
24:00過ぎ 帰宅
 ――事態が当初の見込みよりはるかに深刻だと気づいたのはいつごろか。

 「深夜を過ぎたころに1号機の格納容器の圧力があがっていると聞いたときに、これは変だと思った。ひょっとしたら、直流電源が止まっていたのかと疑った。それにしても1号機は非常用復水器(IC)によって自然循環で冷やせるので(電源喪失には)強いはずなのに、とも思った。その後、電源車のケーブルがつながらないとか、ケーブルがいくらあっても足りないとか耳にしたとき、配電盤も水没して、ポンプなどひとつひとつに電源をつなぎ込んでいるのかと推測した。現場で何が起き、どうしようとしているのかが(官邸にまで)伝わっていなかった。人間の心理は極端から極端に振れる。私は非常に絶望的な気持ちになっていた」

■「安心したことが間違いだった」

 ――前夜に進言したベントは明け方になっても実行されていなかった。

 「前夜とはベントをする意味が大きく変わっていた。このころになると、炉心が溶けて(水蒸気やガスで)格納容器の圧力が高まっていると推測できた。格納容器を(破損から)守るためにベントが必要になっていた」

 ――早朝になって、避難指示の区域を10キロ圏に広げている。

 「炉心が溶けているとすると、3キロでは足りないと思った」

 ――それほど悲観的に事態をみていたのなら、早朝にヘリコプターで現場に向かう菅直人首相(当時)に同行し、機内で「水素爆発はない」と話したのはなぜか。

 「首相から炉心が露出したらどうなるか問われた。水素ができると答えると、爆発が起きるのかと問い返された。そこで格納容器の中は窒素で置換されていて(酸素はないので)爆発は起きませんと答えた。この説明は誤りではない。菅元首相は著書で、私の言葉を聞いて安心したのが『大間違いだった』と書いているが、私の説明に誤りはない。そこで(首相が)安心したことが間違いだった」

班目氏の行動(3月13日)
3:40ころ 自宅で原子力安全委事務局からの電話
5:00ころ 官邸へ(官邸到着前に安全委オフィスで他の安全委員らと意見交換)
この間、3号機の高圧注水系停止などの事態が進む
10:04 原子力災害対策本部の会議
13:55 安全委オフィスに戻り、官邸の状況を説明
14:35 官邸へ
この間、保安院の安井氏らも加わって、3号機の水素爆発の可能性を議論
15:30 官房長官記者会見に同席(これ以降、数回)
21:35 原子力災害対策本部の会議
久木田委員長代理と最悪のシナリオを議論。政治家にメルトスルー後のコンクリート反応を説明
 「ヘリに乗る直前に、これからベントを行うとの連絡を聞いていたように思う。現地に着くまでにベントは実施されるものだと思っていた」

 ――とすると、ベント直後の発電所に降り立つことになるが、ヘリに乗った人たちは防護服を着ていなかった。

 「防護服のことなど考えもしなかった」

昨年11月時点の東京電力福島第1原発
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昨年11月時点の東京電力福島第1原発
 ――ヘリから降りた菅首相は「なぜベントを早くやらないのだ」と東京電力の武藤栄・副社長(当時)をいきなり怒鳴りつけたとされている。首相はベントが実行されていないことを知っていた。

 「首相と武藤さんとの会話を聞いていないが、首相はどこかで(ベントの未実施を)知らされていたのだろう。私は免震重要棟の会議室で知らされた。首相がベントのことを強く言ったのは、機内で私がベントの必要性を強調したせいかもしれない」

■「食い違いがあることに気づかず議論をしていた」

 ――12日午後に1号機で爆発が起きたとき、どう思ったのか。

 「映像を見た瞬間に水素爆発だと思った。その時の記憶はあいまいだが、下村健一・内閣審議官(当時)の書いたものよると、私は『建屋に水素が漏れて、建屋には水素があるので爆発した』と淡々と説明したとされている。多分、事実だろう」

 「この爆発を機に、首相は私の言うことを信用しなくなった。『安全委員会にはほかに専門家はいないのか』と問われたので、『久木田豊委員長代理(当時)も詳しい』と答えると、『すぐに呼べ』と言われたので、久木田さんに来てもらい、私はオフィスに戻った」

 ――1号機の爆発のあった時間帯は、海水注入の議論をしていたころでもある。

 「(海水注入の議論の中で)『再臨界の可能性はあるか』と首相から問われたら、『可能性はある』と答えたとしてもおかしくない。私には尋ねられた記憶がない」

 「実は水素爆発の前の時点から、海江田万里・経産相(当時)が議長になって海水注入の問題点を総理応接室(官邸5階)で話し合っていた。塩が析出し腐食も問題になるので長期間は無理だが、いまは炉心を冷やすことを何より優先し海水を入れろと私は主張していた。首相が海水注入を止めるよう言うはずはないと思う。海水注入中断の問題は、国会事故調査委員会などが指摘するように東電の武黒一郎フェローの勝手な判断が介在していたように思う。いずれにしても、吉田昌郎所長(当時)の判断で注入の中断はなかった」

 「後に福山哲郎・官房副長官(当時)はじめ、政治家の人たちの著書を読んで気がついたのだが、みなさん再臨界イコール核爆発だと思っていたらしい。再臨界が仮に起きても核爆発とは違うことは、JCO事故などからも明らかだ。食い違いがあることに気づかず議論をしていた」
 ――その日は深夜に自宅に戻るが、すぐにまた官邸に呼ばれる。

 「ほとんど寝ていない。ただ13日になると、いろいろな専門家から見解を聞く余裕が出てきた。とくに久木田さんとの意見交換は貴重で、その時点で最も怖いのは高圧溶融物放出(HMT=High-pressure Melt Through)という現象だと意見が一致していた。これは溶融燃料によって圧力容器の壁が溶けて薄くなった末、圧力容器内と格納容器の圧力差によって燃料が容器を突き破って外に飛び出す現象だ。格納容器の壁まで貫通してしまう恐れがある」

 「14日の3号機の水素爆発の後、2号機の逃がし安全弁を急いで開くように助言したのは、2号機でHMTが起きるのを心配して、圧力容器と格納容器の圧力を均一化した方がよいと考えたからだ。吉田所長はまずベントの準備を整えてからと主張していた。安全弁を開くと圧力容器内の水が水蒸気となって格納容器に流れ出し、燃料が空だきになる恐れがあるので、注水の備えがないと安全弁を開けない。難しい判断だ」

 ――そう考えると、原子炉の底部から溶融燃料が落ちたのは不幸中の幸いと言えるか。

 「そうとも言える」

 ――14日夜から東電の撤退問題が浮上する。

 「撤退問題の議論は3つの段階を経たように思う。海江田経産相が伊藤哲朗・危機管理監(当時)と安井正也・保安院付(当時)と私を呼んで、東電が全員撤退を考えていると伝えた。私は免震重要棟があるのでまだ頑張れるはずだ。いったん撤退してしまうと二度と戻れなくなり、1号から6号まですべての原子炉と燃料プールが危機にさらされると、撤退に反対した」

 「その後、政治家だけの相談があり、首相を起こして御前会議となった。撤退は許さないが結論で、清水正孝社長(当時)を呼ぶことになった」

班目氏の行動(3月14日)
9:53 原子力災害対策本部の会合(この後、首相応接室を退去し官邸5階の小部屋などに滞在、呼び出しに応じ応接室へ)
11:01 首相応接室のテレビで3号機水素爆発を確認
11:40 官房長官記者会見に同席
13:40ころ 東電から福島第1で働く人の線量限度引き上げの要望、国際基準などを関係者に説明
16:15 吉田所長と電話で話し、2号機逃し安全弁の開放を急ぐよう助言
18:00ころ 20~30km圏内の屋内退避を首相に助言、福山副官房長官室で米国へ提供する情報の整理
21:03 官房長官記者会見に同席
■「清水社長がその場でごまかそうとしたとの印象はまったくなかった」

 「清水社長は一人で総理執務室に入ってきた。清水社長が即座に『撤退は考えていない』と話したので、私は『聞いていたのと話が違う』と思った。清水社長がその場でごまかそうとしたとの印象はまったくなかった。なにか誤解があったのかもしれない。ただ経営者としてこのままでは部下が死ぬ可能性があると思ったとき、ほかに手だてはないかと考えていたとしてもおかしくはない」

 ――緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報は住民の避難に活用されなかったが、本当に使えなかったのか。

 「不確実性が大きく、今回のような過酷事故の際には使えない。3~5キロのPAZの住民はまずとりあえず避難する。次に実測値をもとにどちらの方向がより安全かを判断して避難の範囲や方向を見直すのだが16、17日時点では実測値が少なく、それだけでこちらがいいと言えない。(実測データから)逆算して汚染状況の地図を作製したのが23日だ」

 「そのデータをみる限り、小児甲状腺等価線量で100ミリシーベルトを超え避難基準に達する恐れがある地域があるので、23日の朝に久住静代・原子力安全委員(当時)と一緒に、官邸に一報を入れに行った。枝野幸男・官房長官(当時)に会い説明した。昼夜戸外にいると仮定した厳しめの見積もりだと説明したところ、『それならただちに避難ではなく計画的に進めていくから』と言われた。その日の夜に記者会見してデータは公表した」

 ――今回の経験から何を教訓とすべきか。

 「チェーン・オブ・コマンド(指揮命令系統)が機能していなかったのが最も深刻な課題だ。トップが現場からの要請・要望を集め指示を下して解決に導くという仕組みがまったく機能せず、例えば東電本店は発電所からのニーズに耳を傾けず、余計な介入してばかりいた。発電所と本店、あるいは発電所と保安院といった組織と組織の間のコミュニケーションに問題があった。原発事故に対する訓練では、組織間の意思疎通がうまくいくかが重要で、発電所の中で閉じた訓練をしていてはだめだ。米国では事故の際に、緊急事態管理庁(FEMA)が大統領から全権を委任され関連省庁や軍にも指示を出せる。原子力規制委員会(NRC)は助言役に徹する。はっきりした仕組みがある。3.11後の日本にそれがあると言えるか」

班目氏の行動(3月15日)
0:00前 安全委オフィスへ戻り、仮眠
2:00ころ 官邸に呼ばれ、2号機の危機的状況を聞く
3:00過ぎ 首相応接室で東電撤退に関し意見を聞かれる
4:00ころ 菅首相と清水東電社長との会談に同席
5:35 東電本店での統合対策本部設置に同席
6:14 東電本店の小会議室で重大事象発生を知る。後に4号機爆発と認識
10:00ころ 安全委オフィスに立ち寄った後、官邸の福山副官房長室へ
12:53 原子力災害対策本部の会合
この間、官邸と東電を数回往復し。主に東電本店で、ホウ酸水注入やヘリによる4号機プールの状況観察・放水の可能性を議論
22:10 安全委オフィスに戻り,仮眠
 ――事故は防げたと思うか。

 「防げた。津波が襲来してからではどうしようもないが、設計時の想定を超える状態(設計拡張状態=Design Extension Conditions)で、安全機器が働くかをちゃんと確認し改善していれば、できた。非常用発電機の設置場所とか、1号機の非常用復水器の弁が緊急時に閉まる設計であったとか、災害前に見直していればよかった。それができなかったのは、設計時の想定を超える事故を考えるとなると、設計基準事故(Design Basis Accident)をもとに出した設置許可の取り消しにつながる議論が起きかねない。そこを心配してきたのだろう」

 「ただくしくも、事故の起きた翌週に安全委員会は設計基準を超えた事故への対策に関しシンポジウムを開く予定だった。保安院は3月中に作業部会を立ち上げて検討を始めることになっていた」

■取材を終えて

 班目氏が想定した「高圧溶融物放出」は「第2の最悪のシナリオ」とも呼べるものだ。事故からほぼ1年後に、民間の事故調査検証委員会が通称「最悪のシナリオ」と呼ばれる文書の存在を明らかにした。菅首相の指示により近藤駿介・原子力委員長が中心となって作成された。溶融燃料とコンクリートの反応による水蒸気爆発で事態が悪化し首都圏にも避難指示が出る可能性を指摘した。高圧溶融物放出でも核燃料が格納容器の外に飛び出し、手のつけようのない事態になった恐れがある。

 班目氏の話は記憶があいまいで、言い訳めくと感じられる部分がある。当時官邸にいた複数の政治家の記録で、同氏は頼りにならない専門家だとのレッテルを貼られてきた。しかし班目氏が事故当日、自らに何が期待されているかがわからなかったとする証言はリアリティーがあり聞き逃せない。政府中枢に必要な情報を提出し事故対応の前面に立つのは原子力安全・保安院であるはずだ。保安院付の肩書を与えられた資源エネルギー庁の安井氏が登場するまで、保安院は事実上、機能していなかった。おそらく官僚機構全体が事故に即応できなかったと推測される。そこにこそ重い教訓があるはずだ。

2014年1月6日月曜日

線量計もサーベイメーターも持たず、防護装備もせず、持ち出し物品の汚染検査もされずに帰還困難区域に出入り出来るようになっている

 がれき広域処理や食べて応援、100ベクレル/kgギリギリの食品でも売れないのは風評被害と言い、理屈の通らない除染で金をばら撒く、すべて共通するのは、放射能を封じ込めるという原則を無視した行政が行われているということ。こんな状態のままであれば、がれき広域処理が無くても、放射能が全国に広がるのは時間の問題である。

 放射能管理のずさんさがよく分かる例として以下を引用する。

(引用)
連携が問題

北村俊郎 2013.4.26
 毎度、現地の管理の杜撰さを指摘するのは気が滅入るが、書かない訳にはいかない。4月に入って富岡町の帰還困難区域はバリケードで囲われ、決められた出入り口は国道6号線にある消防署前の交差点から入る一箇所のみとなった。従来3カ月に1回だった一時帰宅も月1回となり、申し込めば好きな日に帰れるようになったのはありがたい。
 早速、郡山市にある町の仮庁舎に出向いて一時帰宅の申し込みをしたところ、15分ほどで立ち入り許可証が発行され、翌々日の立ち入りが出来ることになった。帰還困難区域の住民は、従来通り立ち入りの際の基地となっている福島第二原発の駐車場で線量計やサーベイメーター、防護装備などを受け取り、帰りにはまた、そこで汚染検査を受けるようになっていると、係りの女性が資料をもとに説明してくれた。
当日、国道6号線でいわき市経由、富岡町に入った。そこから海側に折れて、福島第二原発の駐車場に行ったが様子がおかしい。いままで交差点と中継基地周辺には10メートル間隔で係員が立って誘導していたが、今回は誰もいない。中継基地に到着すると、係員が3人、手持ち無沙汰にしており、「ここでは線量計など貸与する物品は置いていない。帰りの汚染検査も受けたい場合のみ、ここに来てもらえればやってあげます。6号国道に戻ってそのまま富岡町の中心部まで行ってください」と言われた。
 防護装備をしないまま、再び6号国道までもどって行くと、なるほど消防署の前の交差点で警察官が許可証をチェックしている。その近くのゲートには監視員がいた。一時立ち入りの案内書には線量計の所持や防護装備着用をするように書いてあったが、ゲートでの線量計や装備の点検はまったくなく、許可証を見せるとゲートを開門してくれた。物品を貸与する様子もない。約4時間の帰宅ののち、再びゲートに戻ると、何も調べず記録もせずに「お気をつけて」と愛想よく開門してくれた。帰りは基地には寄らず、そのまま6号線を経由して高速道路で避難先に戻った。
 端的に言えば、現在、現場では線量計もサーベイメーターも持たず、防護装備もせず、持ち出し物品の汚染検査もされずに帰還困難区域に出入り出来るようになっているということだ。過去に原発の現場で、極端に厳重な放射線管理を経験した私にとって、帰還困難区域の管理は狐につままれたようなものだ。ここまで管理を緩めて住民たちの自主性に任せきってよいのかと疑問に思うとともに、案内パンフレットに書いてあることと実際に行われていることが違っているなど、それぞれの係りの連携が取れていないのに驚いた。
 翌日、町役場に問い合わせると「基地の方は内閣府の所管ですが、それはまずいですね。貴重な情報ありがとうございます」とのこと。こんな実態を政府や県は把握しているのだろうか。縦割りで業務が行われていて、全体として矛盾なく、適正に行われているかを見ているところがないようである。福島第一原発の事故後、外国の原子力関係者の案内を頼まれることがあるが、こんな実態をなんと説明してよいものやら。頭が痛い。
多くの機関や部署が関わるプロジェクトや手続きについて、実際にスタートする前に、各機関などからメンバーを一名づつ出し、合同チームを編成して、入口から出口までリハーサルをやる方法を提案したい。東京電力のような大きな組織内でもこれをやると良い。野球でもサッカーでも、ダブルプレーやサインプレーは、何十回とグラウンドで練習を積み重ねて成功する。原発事故対応の関係者が、会議や文章のやり取りだけで、すべてがうまくいくと考えていること自体が間違っている。

日本エネルギー会議HP(http://enercon.jp/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/4212/)より

2014年1月5日日曜日

 「自主避難して正解」 福島民友2014年1月3日(1面)記事書き起こし

原発災害「復興」の影 ■自ら逃れる ① 

「自主避難して正解」 
肯定求める親の判断 古里を離れて心に負担

 「周りからは『大変ね』って、数え切れないぐらい言われる。母子避難という“ブランド”を背負っているような感じ」。長女(9)と長男(7)を連れて福島市から兵庫県西宮市に避難する赤間美沙子(35)は、自らに向けられる、周囲の同情的な目に戸惑いを感じている。「こっちは前向きなつもりなのに」

期限ぎりぎりに転居

 2012(平成24)年秋、12月で県外避難者のための住宅借り上げの新規受け付けが終わると聞いて、急に不安になった。18歳以下の県民を対象とした甲状腺検査で、子どもらの甲状腺に「嚢胞」などのしこりが見つかったと話題になったのもこのころだ。検査した機関は原発事故との関連を否定したが「うちの子は何もないとは言い切れない。後悔したくなかった」。期限ぎりぎりに、神戸市の知人に紹介してもらった西宮市のアパートの借り上げ手続きを済ませ、暮らし始めた。

 避難してから、放射線について調べ「やはり福島は危険だった」と思った。今は子どもらが砂遊びをしていても安心していられる。福島市に残る夫(37)には負担を掛けているが、やはり避難して良かったと思っている。

 昨年年の瀬に、福島市に一時帰宅。正月は夫と過ごした。福島の母親仲間とは、放射線に関する話題はあえて避けて、子どもの話に終始した。「サッカーやってるけど元気すぎて困ってる」

 相馬市から滋賀県栗東市に避難する元設備業佐藤勝十志(52)は11年11月に相馬の知人らと京都で再会した。長女が卒業した中学校の吹奏楽部が音楽祭に特別出演した。子どもらの前では「いつ帰ってくるの」などと当たり障りのないやりとりだったが、トイレや廊下で保護者と二人きりになった時、何人かから言われた。「今度、何かあったら子どもを避難させたい。預かってくれないか」

「もう仕事ないよ」

 佐藤は「人前では言えなかったんだな」と思った。「相馬は市民が一丸となって復興に進んでいるというのが建前。避難したいと言えない雰囲気があるのでは」と推測した。「裏切り者」「もう仕事はないよ」。相馬に一時的に戻ると、同業者からは厳しい言葉を投げ付けられる。しかし、佐藤は意に介さない。「仕事もいいが、家族に健康被害が出たらどうするんだ」

 国による避難指示のなかった地域から、他県や会津地域に避難したのは3万人程度とみられている。賠償などがある避難指示区域からの避難者と比べ、経営苦などが目立つとされるが、当人たちは「避難して良かった」「(地元に)残っていたら大変だった」と肯定的だ。

 福島大行政政策学類准教授の丹波史紀(40)=社会福祉論=は「自主避難者は職場や古里を捨てたのではという後ろめたさを感じている人が多く、避難が正しかったと思いたい気持ちが強い。地元で健康被害などがあれば、避難が正当化されるという考えもみられる」と指摘し、「自主避難者に『避難は悪いことではない』『間違ってない』と言ってあげるなどの支えが必要だ」と話す。

                         ◇

自主避難者は、避難による人間関係の変化や、支援制度の変遷などを経て、事故後3度目の正月を迎えている。避難者の現在の思い、境遇を追う。